今までの兼題
第1回 | 海 | 第2回 | 岩 | 第3回 | 風 | 第4回 | 雨 |
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第5回 | 地球 | 第6回 | 獏 | 第7回 | 焔 | 第8回 | 鎖 |
第9回 | 闘 | 第10回 | 鬼 | 第11回 | 面 | 第12回 | 悪 |
第13回 | 数 | 第14回 | 憎 | 第15回 | 兄弟 | 第16回 | 骨 |
第17回 | 青 | 第18回 | 飛 | 第19回 | 指 | 第20回 | 輪 |
第21回 | 五 | 第22回 | 進 | 第23回 | 祝 | 第24回 | 角 |
第25回 | 羽 | 第26回 | 貧 | 第27回 | 洋 | 第28回 | 雀 |
第29回 | 父 | 第30回 | 肩 | 第31回 | 円 | 第32回 | 満 |
第33回 | 馬 | 第34回 | 白 | 第35回 | 黒 | 第36回 | 赤 |
第37回 | 黄 | 第38回 | 家 | 第39回 | 書 | 第40回 | 万 |
第41回 | 広場 | 第42回 | 鉛筆 | 第43回 | 映画 | 第44回 | 路地、露地 |
第45回 | 近江、淡海 | 第46回 | 時計 | 第47回 | 正座 | 第48回 | 手足 |
第49回 | 引力 | 第50回 | 受信 | 第51回 | 凡人 | 第52回 | 書架・書棚 本棚・書庫 |
第53回 | 進化 | 第54回 | 硝子 | 第55回 | 暗闇 | 第56回 | 猛犬 |
第57回 | 坩堝 | 第58回 | 位置 | 第59回 | 青森 | 第60回 | 模様 |
第61回 | 王様 | 第62回 | 四角 | 第63回 | 半島 | 第64回 | 懸垂 |
第65回 | 全身 | 第66回 | 回転 | 第67回 | 珈琲 | 第68回 | 反対 |
第69回 | 夫・妻 | 第70回 | 隣人 | 第71回 | 危険 | 第72回 | 書類 |
第73回 | 眼鏡 | 第74回 | 午前・午後 | 第75回 | 人形 | 第76回 | 世界 |
第77回 | 仲間 | 第78回 | 教室 | 第79回 | 椅子 | 第80回 | 阿吽 |
第81回 | 土地 | 第82回 | 煙突 | 第83回 | 階段 | 第84回 | 曖昧 |
第85回 | 出口 | 第86回 | 文句 | 第87回 | 第88回 |
異土の夏雀の言葉もわからない 恵
★口語で断定されたことが一層その不安定な気持ちを表現していると感じた。私事ながら3月中国雲南省大理を旅行中に、連れに転倒事故がおき救急車で軍の病院に収容された。頭部を九針縫う事故ながら10日あまりの入院で帰国できた。点滴の生理的食塩水、葡萄糖らしき文字は判読したが、24時間通訳のお世話になった。掲句がまだ生々しい私の経験に気脈の通じたことは間違いない。雀の言葉のわからないもどかしさはまさに夏のものと思う。(恵子)
★日常の中で一番身近かにいる鳥は雀ではないだろうか。何処に行っても、どの季節でも、気がつけば雀がいるのである。「あー雀がいたわ」とそれだけで何時もはよかったのに、なぜだか、雀の声までよそよそしく感じられて、異国の夏の真中に立ち尽くしていた。(喜代子)
親雀とべば子雀まへのめり 隠岐潅木
★思わずその愛らしさおかしさに笑ってしまった。俳句でジーンときたり、考えさせられることはあっても、俳句でニヤリとさせられるのは少ない。俳味というものを忘れてはならないと気付かされる句である。ところで私もバスに乗り遅れまいとして、よく前方へころんでしまう。バスに限らず何事も地道な努力を厭って早く目標に近づきたいという気の焦りは、子雀同様である。前のめりは、生きとし生けるものの宿命といえば大げさであろうか。(昌子)
春霖に孔雀の頸の柔らかさ 三千夫
★春の長雨に柔らかに伸びる孔雀の首、これは春の蕩々たる気配そのものです(もとつぐ)
★パソコンの上で横書きを平然と読み、そして送っていますが縦書きにしたとき、また別の雰囲気のある句です。季語を春雨でなく、春霖としたことで、長雨の上がることを望む藍色の首がいっそう鮮明に浮かびました。孔雀は羽を詠いがちですが頸を捉え、柔らかいと見た俳人の目に敬意を表します。孔雀の鳴き声をご存知でしょうか。園の閉まる時間でした。四足の象とか虎の吼える声かと、思わず戻って、確かめました。(恵子)
すずめのゑんどうコップを逃走す 戯れ子
★春の気配にコップに挿したすずめのえんどうがコップをひっくり返して逃走した、これは春の珍事。(もとつぐ)
春雷の過ぎて雀の空騒ぎ たんぽぽ
★夕方一本の木に集まって、まくしたてるのは何の騒ぎでしょう。鳴くでもなし、話すでもなくまくしたてています。界雷の特徴とそれをやり過ごした空騒ぎが実に見事に表現されています。小田急線秦野駅前の街路樹に、丹沢の山並みの方から30羽50羽と群れで帰ってくる雀を見たことがあります。一木の中にすべて隠れてしまいました。私の他にも見物人がいました。(恵子)
冴え返りお地蔵さんに来る雀 半右衛門
★お地蔵さんというのはなぜか日向にいる。日向がお地蔵さんのまわりに集まってくるようなほど、なぜかお地蔵さんは日向の中にいる。そこに群がる雀たちはきっと春の寒さを避けてお地蔵さんに拠ってきたのだと作者は感じているのである。童画のような世界がある。(喜代子)
華の夢に飛び込んだその雀かな 青葵
★作者が中国では花は華とも書いて「(か)と読むので、(かのゆめに とびこんだその すずめかな )と発音します」、添え書きをしてきた。たしかに、日本でも花(はな)と読み華(はな)とよみ、花(か)・華(か)とも発音する。しかし俳句で花という一語を使うときには桜を指す。その桜を華という漢字には置き換えない。もっとも作者が「華」を桜と意味しているのではないというのなら、このままでいいのだろう。身近な雀が錦絵のような豪華は背景を得ている。(喜代子)
おそろしき孔雀おそろしき春月 坂石佳音
★天上には艶なる春の満月がぼってりと上っていて、月明かりの寺の一隅には孔雀が求愛の羽根をゆさぶるように広げきっている。「おそろしき孔雀」「おそろしき春月」は、万華鏡を覗くように印象を重ね合わせて、春月なのか孔雀明王なのか、もろともに摩訶不思議な魂をいっそう濃くするのである。ちなみに月明かりには牧牛、猟犬、農婦、鵜、鴨などを配合した日本画が思い出されるが、はたして孔雀はあったであろうか。いっそ、横尾忠則の絵を見るような世界である。(昌子)
雲雀野に赤白黄の園帽子 祥 子
★長閑な田園の中を通り抜けて、古びた園舎で遊び学んだ幼稚園の頃が偲ばれる。過疎化が進んで、幼児や児童の数は少なくなってしまったが、周辺の風景はほとんど変わっていない。赤帽子・白帽子・黄帽子 が行き交い、黄色い声が『雲雀野』いっぱいに爽やかだ、『園帽子』が夢を膨らませてくれる。(竹野子)
葉桜や靖国雀静かなり 半右衛門
★靖国とは、安らかに治まる国、即ち、泰平の国のことであるが、脳裏に浮かぶのは靖国神社の境内の風景である。大きな鳥居と菊のご門・平和の象徴である「白鳩」の鳩吹く風と菊の花・・。日本の総理や閣僚が参拝するたびに外国から干渉される雀の合唱には閉口される。三春におよぶ花の季節から若葉〜青葉へと移ろう自然の営みに免じて巷の雀も静かに願いたいものである。靖国の英霊もそれを望んでいるに違いあるまいに・・・(竹野子)
瞑りて温みありけり雀の子 shin
★まだ巣立ち前の雛が巣から落ちてしまったのだろうか。「瞑りて温みありけり」で雀の子を拾った作者の掌のなかで動くこともない様子がわかる。野生の小鳥を飼うことはむずかしい。弱い種が淘汰されてしまうのは自然の摂理なのだろうが、子雀へ憐憫の情がわく。(千晶)
追ふ雀追はるる雀さくら時 たんぽぽ
★桜の咲く頃、雀たちも恋の季節を迎えるのだろうか。追われるから逃げるというのは、人も雀も変わらない。 まるで雀たちが鬼ごっこをしているかのようなメルヘンも感じられる。桜の淡いピンク色がほんのりと美しい(千晶)
★追ふ雀追はるる雀と読んでいくときに、読み手は日頃目に溜め込んでいた雀の姿を再現するのである。しかも、この句のリズムが雀の動きの愛らしさを伝えてくれる。雀のこうした姿は一年中見ることができるかもしれないが、さくら時という季節を背景にして一層賑やかさを増すのである。(喜代子)
雀路燕路あり町の空 坂石佳音
★紺碧の大空に厳然と雀道と燕道が線引きされている。その矩規の見えない道を燕雀が飛び交っている。(もとつぐ)
竹秋の雀色時長岡京 曇遊
★長岡京附近は竹林が続き、いまタケノコの出荷の最盛期である。夕日が沈む村の道に子供らの声が響いて」くる。(もとつぐ)
★長岡京は、縁暦3年(784年)に桓武天皇が平城京から移って都を為したが遷都首唱者の藤原種継が暗殺されるなど不運が重なり10年ほどで、平安京に移っている。宮域は京都府向日(むこう)市を中心に長岡京市・京都市・乙訓(おとくに)郡大山崎町に及び、「筍」の産地である。 一句の背景にある歴史と風土を咀嚼した、都の情趣が偲ばれる。 長岡京には、「竹の秋」と「雀色時」が相呼応して、完成度の高い句となった。(竹野子)
収穫を雀と語る案山子かな 祥 子
★実り豊かな刈り入れ前の案山子は、雀を見張る怖い存在であったが、刈田となった今では一服所として雀に肩を貸す優しい案山子さんである。職務を果たし終えて、肩の荷を降ろした案山子のユーモラスな表情が見えてくる。苅田に落ちた稲穂は、収穫の余福として雀たちの命の糧となるのである。「山田の中の一本足の案山子・・」をくちずさみながら・・・。(竹野子)
愛でられてこの国に住む雀の子 祥子
★雀踊りもあれば雀焼きという食べ物まで、いつの世も人の暮らしに寄り添っている雀。小型であることの可愛らしさ、愛嬌のある表情は画題としても、もて映やされてきたし、諺にまで登場している。季語は雀の子で春。掲句を得て作者は雀躍とされたことであろう。(恵子)
★親鳥から口移しに餌を貰っている愛らしい子雀を見たことがある。やがて独り餌となって、10日ぐらいで親と別れるらしい。「愛でられてこの国に住む」はなんともいとおしい。雀の子は人の子と置き換えてもいいだろう。掲句から、昭和11年虚子外遊の一句がしのばれる。〈雀らも人を怖れぬ国の春〉、ロンドン西郊のキュー・ガーデンに句碑が立っている。古今東西、雀は人を愛し人に愛されている。(昌子)
蒲公英の色を汚さずむら雀 ミサゴン
★地上には一塊にタンポポが輝いていることだろう。何かに驚いて一羽の雀が翔び立つ。つづいて20羽、いえ50羽かも知れぬ雀が飛び立っても、現前と輝くタンポポの黄。どこに50羽も隠していたのだろうか。腹這いになった子供の眼で見ている世界に思えるのだった。(恵子)
★「蒲公英を汚さず」でなく「蒲公英の色を汚さず」と絞ったところが明快である。むら雀のすすけた色は、蒲公英の鮮烈な黄色を引き立てて、その交歓のありようがいきいきと見えてくる。さきのキュー・ガーデンでの虚子8句の中に、〈蒲公英に下り沈みたる雀かな〉もある。所変れど雀変わらず、が嬉しい。(昌子)
すでに夜のはこべらにただ在る雀 石田義風
★一句一章の句だといっても「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」のように、どこかに息継ぎの場はあるものだが、この句にはそれもない。強いて息継ぎの場があるとすれば「すでに夜の」だろうか。作者の中に流れる時間が無音無色に抑揚もなく流れて、すでに夜になっていた。見れば、目前のはこべらにうごめくものがあり、それが雀と意識出来るような、できないような己がいるのであった。(喜代子)
予後の庭早くも雀隠れかな 横浜風
★予後の経過を気にしつつ回復を待っているものにとって、春の訪れは嬉しいもの。見慣れているはずの庭の草木も気をつけてみれば、早くも雀が身を隠すほどにのびている。予後の回復も順調なようだ。希望に満ちた陽光が眩しい。「雀隠れ」の季感がこの句の命。(竹野子)
★春になると草が萌えたち、もう雀が隠れるほどの丈まで伸びています。病気の回復期ふと庭を見やると、雑草の盛んな生命力にもう春たけなわと驚かされます。早くなおって下さい。庭に出て雑草抜きができる日も間近です。(千晶)
★古風な季語雀隠れ。春の草丈が漸く雀を隠すほどに伸びた こと逞しい庭草を目の前にして羨ましく思い、また身を養っている場合ではないぞという自分への励ましであろうか。どちらにしても、早くもという一言に自身を急かしている思いが篭められている佳句であった。〔恵子)
荒川の荒瀬のあたり揚雲雀 森岡忠志
★奥秩父の西部、甲武信岳(こぶしだけ)を源に、秩父盆地を流れ関東平野に出て、埼玉県中部を貫き、荒川放水路を経て隅田川となり東京湾に注ぐ、全長169kmの川が荒川であるが、「荒瀬のあたり」とは、荒川と入間川の合流付近か?下流の隅田川付近かも・・。「荒川の あ・荒瀬の あ・あたりの あ・揚雲雀の あ」 あ・あ・あ・あ の韻律と揚雲雀の鳴き声が呼応して、ゆたかな景がみえてくる。(竹野子)
こころにもない言葉さらり寒雀 lazyhip
★出会いよりも別れにはいつもドラマがある。別れはいつも寒雀の寒さ。傷つけたことも傷つけられたことも、今となってはむなしいだけ。さらりと言い残したこころにもない言葉が、雀の身のせめてものプライド。(千晶)
せんせいは雀斑美人入学式 ショコラ
★父親が付き添った小学校の入学式、父親のひそかなる楽みともなる。(もとつぐ)
ニュートンや雀の恋のひらひらと 半右衛門
★ニュートン先生が発見した雀の恋いずれも春風蕩々たる日差し。(もとつぐ)
四十雀の黒ネクタイも三鬼の忌 ショコラ
★1962年4月1日西東三鬼は62歳で亡くなった。新興俳句 の旗手は今まで誰もが手を染めなかったような思い切った 素材を取り上げた。屈折したような、それが持ち味でもあった。水枕にしても、暗く暑くの大群衆にしても。 高原の向日葵の影われらの影 も新鮮であった。総合誌の 集合写真の中にもトレードマークの蝶ネクタイの人として印象強く、掲句が面影を浮かばせてくれた。(恵子)
野辺送りいとしや雀隠れに佇ち 高楊枝
★「雀隠れ」とは草が雀の隠れるほどの丈になったことをいう。この句の「いとしや」の措辞は作者と野辺送りの距離感となる。勿論、物理的な距離感であると同時に、死者への距離感でもある。そして、行きずりの葬列への哀悼に立ち尽くしたのである。足下を意識することは、作者の内側を意識することでもあるのだ。(喜代子)
さまざまに子持雀の小さき声 壽々女
★子持こんぶ・子持カレイには馴染んでいるが、子持雀はあまり馴染んでいないかもしれないが、孕み雀と同義である。この句で映像は小持雀しかいない。そして、その雀の声に注目している作者がいるだけなのである。作者を勝手に女性だと断定してしまうことで、鑑賞の入り口がある。子持雀の身に寄り添う作者には声さえもいつも同じではないのである。(喜代子)
菜の花や脚を揃へて跳ぶ雀 半右衛門
★こんな情景の明確な句に出会うと、俳句はつくづく「写生である」と思う。写生には発見がほしい。発見とは何も珍奇なものを見つけることではない。「脚を揃へて跳ぶ雀」、こんな風に、だれもが見ていてだれもが十七音にできなかったことを表現する力だと思う。「菜の花や」は、ただそこに菜の花が咲いていました、にとどまらない、大きな宇宙につつまれている日常が実感されて、ほっと安らぐ思いがする。〈菜の花や月は東に日は西に 蕪村〉という名句の世界が、すでに菜の花の本情としてインプットされているからかもしれない。(昌子)
その中に贔屓の雀春の風邪 たんぽぽ
★春の風邪が効いている。ばっちり効いているのではない、なにかしら微妙に効いているところが一句全体のムードを醸しだしている。春の愁いにも似た、はけ口のない風邪のアンニュイが、お気に入りの雀を見いだした。その雀チャンは、きっとわれ先に餌を食らうようなガサツな雀ではないだろう。どこか艶っぽい仕草に慰めを得ている作者の貌が見えるようである。(昌子)
遊び場の砂の無くなる雀の子 十文字
★昔は公園の砂場で、雀が砂浴びをするのを見かけたものだ。2、3羽できりなく砂を浴び散らしていた。最近は砂場そのものも、遊び場の土もなくなり、人工芝などに代わろうとしている。この間、砂が靴に入ったのが気持悪いとと言って子供が泣き出していた。こんなに抗菌化して、この国は大丈夫なのだろうか。(千晶)
葬りし雀の墓や日脚伸ぶ 岩田 勇
★珍しくもない身辺を飛び回る雀、しかしその墓は春光のなかに小さく可憐で哀れである。
料峭や埴輪の笑みの雀いろ たかはし水生
★春光のなかに埴輪が微笑ように笑った。その笑いは雀色であり稚拙な微笑みであった。(もとつぐ)
★中国西安で発掘された数知れない兵馬俑を見たとき、その等身大以上の兵馬俑の数の多さに呆れてしまったことを思い出す。しかもそれは、形も表情もリアルに精巧なものだった。それに比べると日本の埴輪は絵で言えば童画的で、死者に祀ったものというイメージを忘れて向き合ってしまう。日差しの中でその笑いにしても口を円く開けて、見る人によっては唄っているようにも思われるだろう。だが、その口の奥の薄暗さを雀色と感じたときに、春寒料峭とも言う春風の肌寒く感じる時候に繋がってゆくのである。(喜代子)
夕東風や雀が雀色の木に たんぽぽ
★東風はどこか冷たくてどこか尖がっている。でもこの夕東風はおだやかで一日の疲れをほっと和ませてくれるような光景である。枝の上に保護色になっている雀を配合して、一幅の絵画にもまさる情感に描きあげている。そういえば夕暮のことを雀色時という。雀の羽根の色を言葉で言い表そうとするとだんだんぼんやりしてくる、その曖昧な感じが夕方の心地に似ているというのである。一句のやさしさは、雀色時の雀にかよう息吹が、夕東風のそれに感じられるところであろう。(昌子)
鶯の鳴いて雀の鳴かぬかな 半右衛門
★一読、おもしろいと思った。二読三読してみると、いよいよおもしろい。半右衛門たる俳号のよろしさも一句の滋味深い味わいになっているようである。鶯の声を心待ちする日々、雀に愛情をそそぐ日々があってこその興趣である。「梅に鶯」とはよく言ったもので、三月になってあたりの山から鶯の声が聞こえるようになった。もっとも庭の梅に来るのは目白や雀ばかりで何やら黙々と枝移りしている。姿を見せぬ鶯の声はいっそう美しい。(昌子)
雀みな出払つてをり雛祭 たんぽぽ
★今日は、雛祭りだというのに、家を守っているのは、年老いた爺と婆である。遠く離れ住む、子や孫の幸せと健やかな成長を祈り、毎年欠かすことなく雛を飾る、旧家の田舎風情が想起される。「雀みな出払ってをり」に、核家族化の進んだ社会現象の断面が揶揄されていて面白い。(竹野子)
蛤の夢に雀の跳ね止まず 三千夫
★蛤の夢とは何であろうか、一説によれば、「蛤」は女性の「物」の隠語として用いられることもあるという。また、「二見の浦の蛤を貝合せとておほふなりけり」(山家集)のように雅の世界に誘う夢多きものである。「雀」もまた「雀百まで踊りを忘れず」(幼児の習慣はいくつになっても残っていること)のたとえがあるように、蛤と雀の取り合わせが面白く、夢の中身は多彩であり、あなたの胸三寸に託されているのである。(竹野子)
とんと来ぬ雀や菜飯まだ皿に 高楊枝
★窓辺の菜飯は、余ったものを置いたというよりも、久々に作った菜飯の色の良さを分かち合いたいのである。あざやかな青さをひとりで愛でるので愛で足りない。誰かいないかと見渡したら雀の鳴き声がした。雀を思うときに菜飯の色はさらに鮮やかになった。(喜代子)
予選句
雲雀丘花屋敷駅新樹光 | 曇遊 |
口開けて顔一杯の雛雀 | 半右衛門 |
夕焼けの空いっぱいにむら雀 | 半右衛門 |
五月晴れ気儘雀の覗いたり | 半右衛門 |
手のひらにに温かきその雛雀 | 半右衛門 |
バスを待つ著莪咲く里の雀見ず | 隠岐灌木 |
雲雀野にただ一人在り四面楚歌 | 水音 |
銀河系水の惑星雲雀かな | 祥子 |
子雀の縁先に来て母の病む | 祥子 |
恐ろしき巣の積み重ね雀蜂 | ミサゴン |
麦秋の風を追いかけ恋雀 | ミサゴン |
浪花には浪花育ちの雀の子 | ハジメ |
揚雲雀天を支へてゐるのかも | 岩田勇 |
揚雲雀田は喜びて水満たす | 祥子 |
沈丁に酔ひし雀の笑ひ声 | 戯れ子 |
藁屑を零し窓辺の雀の巣 | 大山つきみ |
悪き事燕追われて雀の巣 | 半右衛門 |
餌さ撒いて雀と遊ぶこどもの日 | 半右衛門 |
雀知らぬ子もいるらし保育園 | acacia |
春温し夢中で砂を蹴る雀 | 半 |
背を伸ばし雀春耕見張りたり | 半右衛門 |
入学の雀囀る校舎かな | 半右衛門 |
金雀枝の二樹にこだわる兜太の句曇遊 | 曇遊 |
天使たちは娘らの中雲雀東風 | 曇遊 |
ピルッピって雀の枕風の精 | 曇遊 |
雲雀東風おなかのなかで聞いている | 曇遊 |
まさおなる空に出入りの雀二羽 | 西方方人 |
ぽつねんと雀色して春の山 | 西方方人 |
雀飛ぶ空見上げれば燕舞う | 西方方人 |
燕来て目立たなくなる雀かな | ハジメ |
浮世には知らぬが仏雀の子 | ミサゴン |
春の星昼見る雀みすずの忌 | ミサゴン |
花見酒上野に雀集まりて | 祥子 |
揚雲雀遠回りしてポストまで | ショコラ |
投錨のえりもとましゆう雀の子 | ヒデ |
春温し夢中で砂を蹴る雀 | ヒデ |
収穫を雀と語る案山子かな | 祥子 |
つくねんと巣に残されし雀の子 | 西方来人 |
まさおなる空に出入りの雀二羽 | 西方来人 |
麻雀の仮寝を起こす初日かな | 西方来人 |
ちゅんちゅんと声を残して消えにけり | acacia |
春暑し孔雀の羽根のあぶら質 | 隠岐潅木 |
久し駅雀鮨折老母に買ふ | 高楊枝 |
パンくずをやうやく銜へ雀の子 | 岩田勇 |
雀蛾の西日に溶けて夜になりぬ | 三千夫 |
忽然と薔薇立ちており麻雀荘 | 三千夫 |
夕雲雀高く昇るは墜つるため | 猫じゃらし |
春風一陣雀ふとよろめきぬ | 森岡忠志 |
五月雲雀新天地なり高く翔べ | なかしましん |
揚雲雀影もろともに一つ点 | 隠岐潅木 |
使たちは娘らの中雲雀東風 | 曇遊 |
燕雀も鴻鵠もなく春眠す | 三千夫 |
初蝶の裏からくぐる朱雀門 | ハジメ |
二三十来て飛び立つや寒雀 | 西方来人 |
初午や雀来てゐる雀罠 | shin |
二羽の抜け雀のごとき春日向 | shin |
明易し負け組のおれ麻雀勝ち | 高楊枝 |
山笑う雀百まで踊るかな | 半右衛門 |
藁屑の冬暖かな雀の巣 | 半右衛門 |
雀の子親の振る舞ひ全て見る | ハジメ |
亀鳴くや昔麻雀今ゴルフ | 岩田勇 |
受験子の欣喜雀躍さくら咲く | 岩田勇 |
雀みな出払つてをり雛祭 | たんぽぽ |