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五のあとに六の日が来て原爆忌   たかはし水生

★5日のあとは6日が来る。そして6日のあとは7日、8日、9日と続くのも当たり前のことなのである。それなのに、6日には広島に原爆投下があり、9日は長崎に原爆が落とされて、多くの人が無くなった。井上光晴の小説「明日」は原爆投下の前日の市井の日常が描かれ、最後は大きなきのこ雲が、画面いっぱいに大写しにされて終る。「五のあとに六の日が来て」の淡々とした表現が原爆忌によって迫力を発揮する。(喜代子)

百日紅二人暮らしの椅子五脚   葉月

★畳暮らしのわが家に椅子は、鏡台とパソコン共用の一脚しかないが、現在の普通の生活では、さまざまな場面で椅子が登場する。食卓、リビング、書斎と、それぞれの部屋にそれぞれの椅子が収まっている。掲句の五脚は、家に収まる椅子の総数だろうか。その数が多いのか少ないのかではなく、二人の頭数より多い五脚の椅子と、燃えるような百日紅が、生活に関わることで増えていく些末で煩雑な現実を象徴しているのだ。(あき子)

運動会五分の一の手柄かな   かよ

★リレーだろうか、むかで競争だろうか。五人の力を合わせた手柄に五つの笑顔が輝いている。五人という人数は一番小さなチームになる。おのずとリーダーが決まり、足を引っ張る者も出てくる。衝突もあれば、仲を取りなす役割もある。親から見れば五人グループのうちの一人だが、本人たちはずっと、たくましくこの勝利を分かち合っているのだろう。(あき子)

リモコンの五六本ある暑さかな   ショコラ

★リモコンといえばエアコン、テレビは常識である。勿論、エアコンは高い位置にあるから、それが必要かもしれない。しかしこのごろは、ストーブも、照明も遠隔操作である。すなわち、坐っていて全てを動かせるのである。時には、ストーブのリモコンをエアコンに向けたりして、一人で苦笑してしまう場面にもなる。便利なようで煩雑な生活を、暑さが余計襲ってくるのかもしれない。(喜代子)

月の霜募る四十五億年   潅木

★地球の最古の石は40億年前のものなのだという。どこで、石の年齢を40億年がか、30億年だかを見分けるのかは想像も出来ない。しかし、とにかく地球も月も45億年前から存在しているのである。余談だが、釈迦が入滅してから56億年7千万年後に弥勒菩薩として人類を救うため姿を現す仏なのだそうである。いずれにしても、あまりに膨大な数字で、模糊としている。現実なのは、月にも水があるらしい、ということだけである。作者は「霜募る」というかすかな手掛かりにすがっているのである。(喜代子)

癌消えてあゝ五年目の夏にゐる   石田義風

★この世に生まれてからずっと付き合ってきた自分の身体の不具合を指摘するのは赤の他人なのである。この不可解さを抱きながら、言われるままに身体を治療していく。本当か、本当に本当か、という不安が「あゝ」の嘆息に込められている。(あき子)

緑蔭の森の奥より五重奏   ハジメ

★その森の奥に野外ステージがあることを知っていようといまいと、この童話的雰囲気は損なわれることはない。できたら木管五重奏であってほしい、と考える。緑蔭を作る木々たちに谺するのは、かつて大樹であった木の楽器。森そのものが奏でる風の調べに、木管五重奏が心地良く響き渡る。(あき子)

夕涼やとどめさしたる五番打者    正

★最強の打者は四番に据え、五番は勝負強さを要求される打順であるという。三番・四番・五番の活躍がすかっと見事なクリーンアップを生み出すのだ。五番打者のとどめに喝采しビールに喉を鳴らす、これぞ野球好きの正しい夏の過ごし方であろう。(あき子)

風薫る五戸坂町馬の町   acacia

★五戸(ごのへ)とは、青森県南東部の町で、一戸から九戸まである。戸とは「戸産」で馬の意であり、馬を育てることらしい。「五戸坂町馬の町」とたたみかける町の字が、風土を匂わせる効果を作って、薫風をゆき渡らせている。(喜代子)

子すずめの五条大橋超えにけり   池田祥子

★五条大橋は牛若丸と弁慶の出会いの場として伝説的である。さらに、謡曲熊野(ゆや)の中で「四条五条の橋の上 老若男女 貴賤都鄙 色めくありさまは げにげに花の都なり」は、見せ場であり聞かせ場である。橋そのものが舞台より舞台めくのである。そこを通るのが「子すずめ」という小さな生き物。それを鮮明に浮かび上がらせるのが、五条大橋という舞台。これは作者の手柄である。(喜代子)

蟻地獄見に行くといふ五時間目   きっこ

★トルファンから西へ三時間ほど、砂漠の中の高速道路を走ると、交河故城の広大な廃墟がある。といっても、日干し煉瓦の溶け出すような風化で、あたり一面が土色で草一本ない。そんなところに生き物などいないと思っていたのに、蟻地獄だけがあちらこちらに目についた。わざわざ蟻地獄を見にゆく時間があるというのが、この句に奥行きと面白さを与えている。五時間目とは太陽が昇りきって、一番暑い日盛りである。蟻地獄の無音の世界は「見に行く」の一語に、執念や嗜虐やらを抱えた人間をきわめて明るく理知的に描き出している。(喜代子)

揺れ動く園児の五人囃かな  徳子

★元気が身体をはみだしているような子供たちが少しもじっとしていないのは感動的ですらある。10人の子供たちに「100数えるまでジャンプせよ」と命令したらやすやすとやってのけそうなのに、「写真を撮るからじっとしていて」はどう嘆願しても無理であろう。まるで大人になったら忘れてしまう子供法典というものがあって、そこには「カメラを向けられたら隣の子の脇をつっつくべし」とあるかのごとく。あっちこっちを向いた五人囃や、半ベソの三人官女こそ、何よりの思い出となるのだろう。(あき子)

五段目をようやく跳べる跣足かな  町田十文字

★飛び箱も鉄棒も苦手だった私は、結局逆上がりもできず、五段も飛べぬまま大人になった。飛び箱の白い部分に「なるべく遠くへ手を付け」と言われても、なにやら途方もないもののように見え、身がすくんでしまうのだ。放課後に残されたあの不甲斐ない小学校時代を、今まざまざと思い出してしまった。(あき子)

五十鈴川手を浸けをれば緋鯉来る   yasue

★「手を浸けをれば緋鯉来る」は日常卑近な風景である。だが、これが五十鈴川であるとなれば、只事ではなくなる。三重県伊勢市、神路山を源にして伊勢湾に注ぐ五十鈴川。その川は途中で伊勢神宮内を流れて、御手洗となる。この背景を感じ取ることで、緋鯉の色の鮮やかさがいっそう増すのである。(喜代子)

五合庵主(ぬし)の貌してひきがへる   蝉八

★五合庵とは、新潟県の国上山の中腹にある良寛の旧居である。私が訪れたときは、家の真中を真竹が畳を貫いて天井にとどいていた。もう20年ほど前のことである。この句の庵主貌とは当然良寛のことである。一面には子供達と手鞠をつく貌であり、他の一面では「君看るや双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり」という貌も見せる。これらのこもごもとした感情移入が「ひきがへる」の姿の滋味を引き出している。(喜代子)

五円玉ためてアイスを買いにいく   曇遊

★小学生時代、一番安いアイスが10円だった。昭和40年代あたりでも、五円玉一個でアイスは買えなかった。五円玉や一円玉の買い物は、どうにか集めたことが明らかに分かる必死の買い物だ。一円玉を10枚出すのはかなり勇気がいることだったが、五円玉が混じるのもやや恥ずかしい、そんな気分も交錯しつつ、しかし、当たりが出たらもう一本。この夢を一緒に握りしめながら、子供は近所の菓子屋に向かう。もうこのアイスは、あのアイスでしかないような気がしてきた。懐かしさに調べてみるとホームランバーは現在60円になっていた。(あき子)

五人目は農家の産まれ羽抜鶏   siba

★車座の中の談笑なのか、あるいはサラリーマンが、酒卓を囲んでいた風景か。人数も五人以上居たのかもしれないし、五人だったのかもしれない。生まれ故郷を語る場になって、五人目が図らずも農家の生まれであった、というだけの偶発的な物語である。しかし、「羽抜鶏」によって五人目の人を中心とした人間像がいきいきと浮かび上がってくるのである。季語の力と言ってもいい。(喜代子)

五時起きの吾より早き燕かな   山田厚

★現代では五時起床は早起きである。作者もそれを意識しているのだ。それなのに、目覚めてみれば、他にも目覚めているものの気配がする。この作品の一句一章の表現は、一気呵成と言うにはあまりにさり気ない呟きである。しかし、それが朝の風景と目覚め際の茫洋さを伝えて、滋味ある内容にしている。(喜代子)

青梅雨や五感の張りのやや弛む   ミサゴン

★視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、身体はいつでも休みなく働いているはずなのだが、連日の梅雨のもたついた空気のなかでは、どこか張り詰めた気分に欠ける。あらためて五感を数えあげてみても、やっぱりどこも冴えないように思えてくる。しかし、生命感溢れる太陽の顔をひとたび見ることになれば、さて掃除だ洗濯だ、と五感のスイッチはただちにオンになるのだろう。(あき子)

アルバムの五人家族や豆御飯    池田祥子

★「アルバム」とあえて触れるのは、現在の家族とは違う顔ぶれなのだろう。子供時代の家族写真に、今の自分より若い父と母が映っていたり、好物の豆ご飯はそれぞれ三膳ずつお代わりして、あっという間にジャーをからっぽにしていた頃。そんな過去のヒトコマは、普段の生活の中でこそふいによみがえるものなのだ。豆ご飯を前にして、今の幸せと過去の幸せを重ね合わせている作者である。(あき子)

梅雨空に五輪真弓を聴きにけり   宗一郎

★五輪真弓といえば、「恋人よ」が大ヒットしたストレートの黒髪が印象的な、美しい声を持つ歌手であることは、音楽に全くうとい私でも知るところである。どちらかというとしっとりとした雰囲気を持つこの女性に雨はよく似合う。この季節になると聞きたくなる歌があるとすれば、それはきっと五輪真弓に違いない、と強く確信してしまった。(あき子)

ライオンがごろ寝している五月かな   むげん

★清々しい五月の風が百獣の王に与える休息のひとときである。イソップ物語の「The Lioness」は、一頭の子供しか生まない雌ライオンに動物たちが「たった一頭きりですか?」と聞くと、「でもこの子はライオンですのよ」と答える短編がある。掲句のライオンは、「ごろ寝」というとぼけた味わいを持たせることによって、イソップの啓蒙的な厭味は消え、ライオンのあくびが見えるような大らかな句となった。(あき子)

実桜や歳三の風五稜郭   平田雄公子

★明治2年の箱館戦争で、土方歳三は35歳の若さで命を落す。死を覚悟していた辞世の歌は「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」。信念にたやすく命をかけた時代は、痛々しくも清冽である。赤く熟した桜の実が、歳三の無念の吐息に揺れている。(あき子)


予選句

遠足や弁当つくる朝の五時みぶこ
雁渡し鎌倉五山めぐりけりショコラ
「五時までにうかがいます」と台風言うショコラ
五合枡小豆洗うも不満顔乙牛
秋暑し未だ下五の定まらず岩田 勇
瑠璃色の水面秋風五色沼享子
秋刀魚の値五拾圓なり大回遊竹内秀樹
新米の五指にあふるる軽き音遊起
五叉路来てやはり赤なり秋深む
桃の香や戦禍に逝きし姉十五
雷鳴が5つあとなりすわ軒端享子
五穀米十穀米や処暑すずしちかこ
五時までの囚はれ人やビヤガーデンけい
秋の初風五位鷺のうしろからけい
子に乞われ蝉追いかける5頭身享子
落ち蝉の五臓六腑やほぞに入る享子
落ち蝉の五臓六腑を蟻が引き享子
村芝居おやまの似合ふ五体かなかよ
五年目で 海に沈めた 我が想いじょん
立秋の夕風五感吹きぬけりacacia
原爆忌十五万余の御霊かなacacia
蜩の鳴くたび五重塔が揺れ雨宮ちとせ
十五の夏姉逝きたまふ終戦忌矢車草
お祭りのアトムの下敷き5等賞曇遊
?四分の五拍子好きでありし夏Yukuko
ディスカバリ543210で水鉄砲曇遊
蝉時雨五感ゆつくり衰へしショコラ
緋の床几かぞへて五つ心太たかはし水生
射干を散らして母の五色針石田 義風
風死んで牧場に牛の五臓太石田 義風
「ん」涼し五十音表はみだしてショコラ
台風や樋のあふるる五色石遊起
まご五郎ハウスと言わる雲の峰ちかこ
ににんが五 ○がもらえる夏の友曇遊
図工のみ五でほかは三ソーダ水shin
土用太郎カランカランと五等賞坂石佳音
パソコンの五目並べや道をしへ
午後五時の愁ひを隠すサングラスこうだなを
いっぽ二歩五歩と歩むや端午の日佳子
薔薇咲かす人の力や五大陸池田 祥子
五合目は登山のルート鸚鵡鳴く町田十文字
五官をば休め給へり三尺寝町田十文字
オムレツをふはりと返へし五月闇ショコラ
草むらに潜む五人や夏休みショコラ
天草へ霞の五橋渡りけりみぶこ
五月晴断じて空似にはあらず森岡忠志
大雲海五万の魚跳ねるべし森岡忠志
筆太の五省の額や夏座敷岩田勇
耳元に羽音聞きつつ五輪の書池田祐治
五十五歳もうとまだかの半夏生文里
八重ざくら水のたまりに五の雀紅香
馬刺し屋もある坂の町五戸町acacia
菜園の五感豊かに草いきれ遊起
黒南風や自販機五円玉を吐く潅木
五日目でやっと泳げし子に拍手山田厚
五人とも日焼け顔して笑いたり山田厚
筆がきの二升五合どじょう鍋町田十文字
五分刈りの頭の並ぶラムネかな綴季
五線譜に内緒話のさくらんぼ池田祥子
スケッチの視野に五月の舟溜り
五つ葉の辞書よりはらり黴の花まりこ
さかしまに幹ぴよんぴよんと五十雀きっこ
谷中の蚊五重塔をまなうらに
夕立後に何処から涌きし子等五人山田厚
嬰眠る五臓六腑の卯浪さ浪坂石佳音
梅雨冷やなほ五七五の迷ひみち蝉八
メンチカツ中の玉葱五ミリ未満宗一郎
命日は呆れるほどの五月晴れカン
五日経ち又も燕黒巣篭もりぬ山田厚
手に団扇微かに五回眠りたり山田厚
退職の五十路の庭やゆすらうめ半竹
五位鷺の立ちてゐる田は水鏡括弧
五位鷺や夫の定年迎える日ミサゴン
日焼けしてケーキ五つに分かちけりshin
金魚玉マーブルチョコを五つだけshin
蛇の衣下五脱臼してをりぬshin
連山や五つの峰に夏の雲むげん
幼な子も五体のびのび梅雨をきくむげん
幼子の積み木に苺五十音池田祥子
真夜中の街のしじまや魔の五差路acacia
五月雨やビー玉越しに青を見る雨宮ちとせ
新駅の予定地に降る五羽の鳩acacia
零五年五月五日の卓五人森岡忠志
青嵐一山一寺五重塔森岡忠志
神の留守さいふにもどす五円玉潅木
裸子の五の字書けずに泣き寝入り山田厚
鯔背なる五分の魂尺取に宗一郎
戦前の五角窓枠薔薇薫るacacia
五月晴れ五月雨さえも一休みカン
夏野菜営農集落五人組山田厚
遅刻せぬ五月雨髪の少女山田厚
夏夕日十五数えて沈みけり山田厚
雛燕五つ押し合う過疎の村山田厚
あしたにはハマナス五つ咲きそうな曇遊
松の芯君の海だぞ五郎君岳 青
マンモスの凍てし五感や白き膚潅木
語らいて十五の娘初浴衣山田厚
語らいて十五の娘初浴衣山田厚
夏富士を穴からのぞく五円玉ハジメ
目の見えぬ五羽の雛いて親を待つ山田厚