今までの兼題
第1回 | 海 | 第2回 | 岩 | 第3回 | 風 | 第4回 | 雨 |
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第5回 | 地球 | 第6回 | 獏 | 第7回 | 焔 | 第8回 | 鎖 |
第9回 | 闘 | 第10回 | 鬼 | 第11回 | 面 | 第12回 | 悪 |
第13回 | 数 | 第14回 | 憎 | 第15回 | 兄弟 | 第16回 | 骨 |
第17回 | 青 | 第18回 | 飛 | 第19回 | 指 | 第20回 | 輪 |
第21回 | 五 | 第22回 | 進 | 第23回 | 祝 | 第24回 | 角 |
第25回 | 羽 | 第26回 | 貧 | 第27回 | 洋 | 第28回 | 雀 |
第29回 | 父 | 第30回 | 肩 | 第31回 | 円 | 第32回 | 満 |
第33回 | 馬 | 第34回 | 白 | 第35回 | 黒 | 第36回 | 赤 |
第37回 | 黄 | 第38回 | 家 | 第39回 | 書 | 第40回 | 万 |
第41回 | 広場 | 第42回 | 鉛筆 | 第43回 | 映画 | 第44回 | 路地、露地 |
第45回 | 近江、淡海 | 第46回 | 時計 | 第47回 | 正座 | 第48回 | 手足 |
第49回 | 引力 | 第50回 | 受信 | 第51回 | 凡人 | 第52回 | 書架・書棚 本棚・書庫 |
第53回 | 進化 | 第54回 | 硝子 | 第55回 | 暗闇 | 第56回 | 猛犬 |
第57回 | 坩堝 | 第58回 | 位置 | 第59回 | 青森 | 第60回 | 模様 |
第61回 | 王様 | 第62回 | 四角 | 第63回 | 半島 | 第64回 | 懸垂 |
第65回 | 全身 | 第66回 | 回転 | 第67回 | 珈琲 | 第68回 | 反対 |
第69回 | 夫・妻 | 第70回 | 隣人 | 第71回 | 危険 | 第72回 | 書類 |
第73回 | 眼鏡 | 第74回 | 午前・午後 | 第75回 | 人形 | 第76回 | 世界 |
第77回 | 仲間 | 第78回 | 教室 | 第79回 | 椅子 | 第80回 | 阿吽 |
第81回 | 土地 | 第82回 | 煙突 | 第83回 | 階段 | 第84回 | 曖昧 |
兄ちゃんは六十五歳相撲草 魚野
★相撲草という名がついているので、逞しい姿を想像するだが、実際には40センチ前後、その茎の先が線状のまま分かれているだけの雑草である。草質が強靭なので、その名が付けられたようである。「兄ちゃんは65歳」、自分もまたそれに近い年齢を積みかねてきたが、いつまで経っても兄ちゃんは兄ちゃんである。そのことに何の不思議も無いのだが、意識してみれば、道端の雑草に名前があるように存在感を持った人生になってくるのである。(喜代子)
死者の数炎の中や原爆忌 清水昶
★井上光晴の小説「明日」は、原爆投下の前日の市井の人々の日常を、淡々と描き出したものだ。小説の最後の場面は、空に現れた巨大なキノコ雲。一瞬の閃光によって今日の続きの明日が失われてしまったのである。死者の数は炎の中にある、という断定が作者清水昶氏の原爆図であり、地獄図なのである。(喜代子)
日に三度おのれを殺す酔芙蓉 長谷川 晃
★日に三度おのれを殺すものは、やはりおのれ自身なのである。言ってみれば、生きているそのことが己を殺す行為の連続なのである。それでは「己を生かす」ということはどういうことなのだろう。人はその殺すことと生かすことのはざ間でさまざまなものを生み出している。一日で終わってしまう芙蓉の花、ことに醉芙蓉は、思いもかけない赤色に染まって、夕暮れの色に馴染んで行く。(喜代子)
癒えを待つ舟屋の一間銀河夜夜 東昏子
★銀河、それが海を渡っているのだから壮大である。船屋で癒えを待つのは漁夫なのだろうか。大景の中の小さな存在の人間が、なぜか艶な姿で捉えられているのは、船屋という舞台の選択である。日本語のもつ多義的な用法がここでも当てはまる。歌舞伎の一舞台ででもあるかのような「船屋」には役者のような漁夫が休んでいるのかもしれない。どんな場であろうと、銀河の鮮烈さは変らない。(喜代子)
シンクロの一本の脚晩夏光 川野蓼艸
★1984年から五輪正式種目となったシンクロナイズド・スイミング。当初見慣れないノーズクリップや、終始徹底した笑顔をずいぶん奇妙に感じたものだが、今ではすっかり人気種目となった。しかし、あらためて見てみれば、水面に直立した一本の脚はやはり異形である。晩夏の陽光に照り返され、輝く脚はゆっくりとi水中に没する。芸術に隣合う異形との距離に、ふと気づく瞬間である。(あき子)
婆さまの後行く四万六千日 平石和美
★この日に参詣すると平日の四万六千日分の功徳を授かるといわれる。落語の『船徳』あたりのまくらで「四万六千日、お暑い盛りでございます」などと始まるように、昔から市井の人々にも深く関わっていた言葉でもある。これだけで炎天に揺らぐ季節を思う。それゆえ先を行く「婆さま」がこの世の者とは思えないような、日常の景色に不安を仕掛ける不思議な句に仕上がっている。(あき子)
深海に数万の魚敗戦日 邦夫
★海底に住む魚の数。淡々と言い放つ深海の風景に、深い悲しみがこめられている。ガルシア・マルケスの『失われた時の海』は、亡くなった人々が世界中の花とともに深海に暮らす、という小説だった。今日は広島「原爆の日」。(あき子)
数式をきれいにのぼる捩花 萩月
★捩花があの華やかな蘭の仲間だと知った時には、少なからず驚いた。形態の不思議さばかりに目がいっていたのだ。しかし、よくよく眺めてみれば、小さな花のひとつひとつにフリルが付き、これは確かにカトレアと同じ形だ。咲きのぼる小さな蘭を、雑草と呼んでしまうのはあまりに乱暴な気分になる。掲句では、数字と捩花に共通の端正さを見つけたところに、大いに共感し、可憐な捩花のために安堵の息をついたのだった。(あき子)
父の写真一枚も無し百日紅 米川五山子
★一枚もない父の写真、いや、一枚くらいは父の写真が存在していて欲しかったと思う。さらに、父はいったいどんな顔をしていたのだろう、という思いにも広がってゆくのだ。百日紅の花が視界を塞いで、父の写真を隠しているのかのように、空を狭くしていた。(喜代子)
深山のひとつまみかな釣忍 ひろし
★釣忍とは、忍草を束ねて舟や井桁の形に仕立てたもの。軒に吊るして涼味を呼びこむのである。冷房に頼らない生活の窓には、今も釣忍は生きていた。はるかな峰が、ひとつまみほどの大きさで浮かんで、釣忍だけが取り残されたもののようである。(喜代子)
枇杷たわわ門標三度変わりたる 香世
★何やら想像たくましくさせる句である。たびたびに変わる表札の家の庭に、今年も枇杷がたわわに実る。引越しのトラックが横付けされ、荷物が持ち出され、また運び込まれる。その門の傍らにはりつくように生える枇杷が、いかにもいわくつきの木に思えてくる。移り変わる家主に一向お構いなく、枇杷は今年も美しく実る。(あき子)
初蝉や少し遠慮に飯二杯 顎オッサン
★初蝉の季節になると、どこの家でも戸を開け放つようになる。流れ込んでくる新鮮な空気の匂いに、あらためて開放感を感じるのもこの頃である。それを象徴するような初蝉の声は、非日常へつながる声でもある。「少し遠慮に」はいろいろな場が想定できるが、とりあえず、自宅以外での食事風景と考えていいのだろう。遠慮してもしなくても、初蝉の声は流れている。(喜代子)
万緑や大人六人子は一人 徳子
★はじめ「大人大人子が一人」としての作品評を発表してしまい、指摘されるまで気がつかなかった。作者は面食らったに違いない。この、見間違いをした句の解釈で行けば、大人の数に具象性が持たせることも可能である。しかし、原句の「六人」から想像できる塊を、小さな一群れとしてとらえるなら、五、六人という表現でもいいのだ。あえて「大人六人」とするのは、作者のただいまの事実を打座即刻に捉えたのだと思う。万緑の季節感が、この「大人六人子が一人」の内側を嬉々と満たしていく。 (喜代子)
百年の恋過ぎ越して捩花 野乃野帳
★捩花の螺旋状の形態が、百年の恋を貫いた女の情熱を表し、また、現在は既に過ぎ去りし日々を冷静に見つめることができる時期になっていることをも感じさせる。思い出を紡ぐ作業とは、確かにその日々が存在していたことを確認し、機会さえあれば再び螺旋を昇り詰めるであろう自分のなかの埋火を見つめることでもある。(あき子)
海の日や人間の七割は水 美和
★寝返りを打つ拍子に「ちゃぷん」と身体の中で水の音がすることがある。それは胃に残る水分が立てているのだと分かってはいても、なんとなく愛おしい音を聞いた心地になる。私たちに流れる血液は海水に果てしなく近いという。体内に七割もの海を携えて、私たちは生活している。ずっとずっと以前、母なる海に別れを告げた時から変ることない約束ごと。(あき子)
かわほりにをとこの数をかぞへをり きっこ
★夜行性のかわほり(蝙蝠)は、まるで闇を誘い出すように、夕暮れになると忙し気に飛びはじめる。あのせわしさは、見ているこちらも感化される。だからおとこの数をかぞえはじめるのだろう。おとこの数をかぞえるのはいったい何のためなのか。数えている男とはいったいどんなおとこなのか。とにかくかわほりの飛翔に促されて、かわほりが男なのか、男がかわほりなのかわからなくなっていく。(喜代子)
椅子ひとつ乱歩の町の夏館 坂石佳音
★椅子というものは不思議に人間の気配を感じさせるものである。誰かがすぐに座るかもしれない気配。誰かがその椅子から立ち去ったような気配。どちらにしても、椅子は人が座ってこそ充実するのである。ひとつだけぽつんと椅子の置かれた夏館。それはいかにも不安定な空気をかもし出して、江戸川乱歩の生きた町の一隅に存在感をもつのである。(喜代子)
銀漢やヒトはたかだか百万年 以和於
★人間はあるとき突如人口を急激に増加させ、あらゆる大形動物のなかで最も個体数の多い動物となり、今や40億を越える大所帯である。人間が情報を伝達しようとする情熱は、魚にとっての鰭、鳥にとっての翼と同様、成功の鍵であったといわれる。書き残すこと、口承すること、たかだか百万年の歴史の先に何があるのか想像すること。遥かな時空を越えた星の光りのもとで、あらためて見つめてみるのも悪くない。(あき子)
人ふたり犬いっぴきの昼寝かな 鈴木絹子
★人は屋内、犬は屋外かもしれない。または犬も同じ一間に共存している風景でもいい。昼寝の無防備さ、昼寝の無邪気さが、犬を加えることでさらにのどかさを醸し出している。ふたりという数、いっぴきという数が情景の要になっている。(喜代子)
四阿の七本柱風薫る ハジメ
★阿は中国語で建物を意味する。日本庭園などに設置されている吹き抜けの休憩所である。東屋、阿舎などとも書く。作者の出合ったそれは、六角形、あるいは円形だったのだろう。六本の柱で輪郭の出来た四阿の真ん中には、屋根を中央で支える柱が貫かれている。だから、どうと言うのではないが、七本の柱が際立って、庭園の風景を透明にしている。その柱に立てばきっと薫風が匂いたつだろう。(喜代子)
三つ編みの髪の多さや夏椿 塚田はるみ
★初めてポニーテールにした時、あまりに太い髪の束に驚いた。ひとつにまとめたことで我が身の髪の量をあらためて知る。細い鞭のような三つ編みを下げている同級生がとても羨ましかった。まるで気にもしていなかった些細なことが、最大の関心事になることもある。夏椿の花びらが、憂鬱な心を覆っている皮膜のようにも思えてくる。(あき子)
青梅と二夜過ごしてしまひけり 坂石佳音
★摘み取った青梅は、梅酒にするにしろ、梅干しにするにしろ、一刻も早く次の手を打たなければならない。お天気が…、参観日の予定が…、なんていっているうちに、青梅はどんどん熟れてしまう。「融通」という言葉は人間にしか通用しない。もう二夜も放置してしまった青梅を前に、戸惑う作者が見えてくる。(あき子)
蛍の夜この世に数多摩訶不思議 荒井魚野
★蛍の明滅は恋のサイン。一時住んでいたマレーシアでは、蛍が一斉に明滅する島があると聞いていた。マングローブの林を抜けると、島全体がほの明るく浮きあがるようiに明滅を繰り返すという。発熱を伴わない蛍の静かな光を思い、この世の不思議を数えてみる。(あき子)
甚平にただいま第五反抗期 たかはし水生
★1〜3歳にかけてが第一反抗期、思春期が第二反抗期。辻仁成が自分に対して反抗しはじめる時代を「第三反抗期」という歌にしているので、これがきっと20代後半から30代あたり。さらに第四、第五なのである。社会的にはもう定年などというお役目も終えた立派な御仁。掲句は甚平を出したところで、愛すべき姿に収めることに成功している。(あき子)
夏めくやつかまり立ちの一輪車 平田雄公子
★初夏の風が吹き抜けるような一句。一輪車は姿勢が肝心要である。背筋をすっと伸ばし、背骨の上に頭を乗っけるイメージでバランスをとる。一輪車に乗ることができれば、逆立ちだって簡単にできる。人体に一本の線をひけると面白いように軽やかになる。(あき子)
初浴衣姉三六角蛸錦 梨花
★「姉三六角蛸錦」とは、京都の方なら誰もが知っている唄だそうだ。京都市の碁盤の目状に走っている通りの名前を順番に並べてある。掲句は、姉小路通り→三条通り→六角通り→蛸薬師通り→錦小路通り。おろしたての浴衣を着た娘さんが颯爽と京都の町を歩く姿を思い浮かべiる。ちなみに全部の歌詞は「♪丸竹夷二押御池/姉三六角蛸錦/四綾仏高松万五条/雪駄ちゃらちゃら魚の棚/六条七条とおりすぎ/八条こえれば東寺道/九条大路でとどめさす♪」(あき子)
数学の天才列伝風薫る 岩田勇
★昨年の映画「ビューティフル・マインド」は、数学の天才と呼ばれたジョン・フォーブス・ナッシュの数奇な半生を描いた作品であった。精神分裂病に苦しんだ彼がノーベル賞を受賞するまでのストーリーは、見ているだけで数字の迷宮に入り込む。「風薫る」の季語によって、未来が明るく開かれることを暗示しているようで安らかである。(あき子)
一億の民を平らに桐の花 桂
★桐の花はいつも高いところに咲いて、気が付かないうちに散ってしまうことが多い。その散った花によって、空のあたりに咲く花の存在を認識したりすることもある。「通るとき落ちしことなく桐の花 草田男」はそうした場面であろう。「一億の民」とはどこの国の人口に匹敵するのだろうか。その「一億」という言葉によって、淡々と咲いて散ってしまう桐の花の高く抽んでた一樹が際立っている。(喜代子)
予選句
ぱつたんこ二足歩行と脳進化 | 宇都宮南山 |
劇場に数多の拍手八月尽 | 麻子 |
百年を笑い飛ばせし生御霊 | 魚野 |
団子屋の百貫親父小鳥来る | 坂石佳音 |
歳の数気にせず生きる野菊かな | 弘道 |
マドンナは数キロ太り夏帽子 | 土肥典子 |
分かれ道一筋の秋ふりかへる | かも |
夏座敷五指の靴下もずもずと | 塩原道雄 |
八月や海坂越えて父の声 | 東昏子 |
夏草や一直線空仁王立ち | 舞姫 |
揚花火かぞへつゝ手を握りたる | つーやん |
数歩だけ恋引き戻す技あれば | 樫本一美 |
駅舎より一路母郷へ青嵐 | 木花 |
尺玉の上がりて終わる夏祭り | 野乃野帳 |
二三本冷麦の赤孫の手に | 半竹 |
歳三の五稜郭かや日雷 | たかはし水生 |
万歩計花合歓やさし戻りけり | 香世 |
麻暖簾ひとり顔出しふたりをり | 香世 |
初蝉の声聞き付けし小二の子 | 米川五山子 |
香典を数へる卓の火取虫 | 以和於 |
短冊の願いを数えし天の川 | ゆうじ |
待つ人が幾年来ぬ夜の七夕や | ゆうじ |
夏大根口説き文句の四捨五入 | 宇都宮南山 |
独り入る方里青田の母郷かな | 木花 |
h?三ツ星の文庫の重み戻り梅雨 | やすか |
七色のジェット風船夏の夜 | 正 |
待ち人の癖数えをり造り滝 | 以和於 |
今日からは浴衣と砂糖二つなり | 長谷川晃 |
悪よりも善を数えて生きたいね | 樫本一美 |
ほうたるや二重に見える画面あり | 水星人 |
額の花まだ覚えてるかぞへうた | 水星人 |
朝顔の蕾数へて眠るかな | かも |
数式の渦の道のり蝸牛 | 麻子 |
おやA?じのくはだて七色のかき氷 | 坂石佳音 |
蛍狩り六十路大方元気なり | 徳子 |
躍る夏舞ふ夏みちのく六県は | 以和於 |
十五分だけ七夕を延長す | 岡村知昭 |
個性派の二人揃ひて草矢射る | 渡辺時子 |
紫陽花や数えて入れる青蛙 | 半竹 |
方生会ひとつの島に幕が立ち | 器楽 |
掌の中に蛍火ひとつ大宇宙 | 木花 |
曇晴時々端居少数派 | 平田雄公子 |
五郎の名呼ばれしは犬梅雨晴間 | 米川五山子 |
紫陽花が目玉となりし寺二つ | 米川五山子 |
短夜のギガの世界をまさぐれり | やすか |
母の背の二つに折れてなお強し | 樫本一美 |
不幸より幸せの数すこし越え | 樫本一美 |
夏茱萸や実の数かぞえ鉢求め | 露壜 |
式よりも多き未知数青嵐 | 渡辺時子 |
二粒の涙が落ちる甲子園 | 花陽 |
いまどきはブスも美人の七変化 | 克己 |
さくらんぼ二つを口に弾けさす | 野乃野帳 |
三十路過ぎ恋の終わりはいつも夏 | 塚田はるみ |
第三の青春の夜や閑古鳥 | 野乃野帳 |
遠蛙不服従の五臓あり | 野乃野帳 |
さりとても十薬苦し猫ひざに | 高橋克己 |
十薬の守るがごとし殉教碑 | 以和於 |
潮騒の連れ来る影よ一文字 | 松尾多聞 |
二代目の人面魚かや蓮浮葉 | 平田雄公子 |
睡蓮や生の数だけ世界あり | ぽ |
二枚ある舌もぬかるむ梅の雨 | 長谷川晃 |
栗の花十尋四方の聖地かな | 坂石佳音 |
萬ごと流し終へしや夏の雨 | 露壜 |
向日葵の襟足棘の一二三 | 坂石佳音 |
始まりの色皆ちがふ七変化 | 麻子 |
どれも同じ暗証数字麦の秋 | 米川五山子 |
十薬の花を描きし若A?き医師 | 米川五山子 |
後退の一歩の予感蝉時雨 | 野乃野帳 |
亀鳴いて三千丈の藪の中 | 野乃野帳 |
諭すよに数の子食えと老父言い | ひねもす |
かるの子の潜るよ潜る二ツ杁 | たかはし水生 |
三山の夏鶯に酔いにけり | 岩田勇 |
夏めくや木曽三川のまぶしかり | 岩田勇 |