今までの兼題

第1回第2回第3回第4回
第5回地球第6回第7回第8回
第9回第10回第11回第12回
第13回第14回第15回兄弟第16回
第17回第18回第19回第20回
第21回第22回第23回第24回
第25回第26回第27回第28回
第29回第30回第31回第32回
第33回第34回第35回第36回
第37回第38回第39回第40回
第41回広場第42回鉛筆第43回映画第44回路地、露地
第45回近江、淡海第46回時計第47回正座第48回手足
第49回引力第50回受信第51回凡人第52回書架・書棚
本棚・書庫
第53回進化第54回硝子第55回暗闇第56回 

獏の吐く息は海市となりて立つ  やすか

★海市(かいし)は蜃気楼。歳時記には、「蜃は大蛤の意。古くは海中の蛤が吐く気によって空中に楼台などが現れると考えられた」とある。面白い。しかし、蛤より獏の方が格段に気が効いているのではないか。獏の中途半端に長い鼻先から漏れる溜息を思うと、いかにも奇妙な幻の街が、水平線にぷかりと生まれてきそうなのである。また、曖昧な輪郭の海市に対し、白と黒の直線で区切られている獏の体は対照的であり、獏そのものの姿がはっきりと印象付けられる。(あき子)

子の夢は子獏が喰うて毛糸編む  正

★子供が見る悪夢は、子供の獏が食べている。道理で、子供時代の方が怖い夢を見たように思えるのは、子獏の食べ残しやら、好き嫌いやらのためなのか。「また、こんなに残しちゃって…」なんて母獏に叱られながら、子獏だって半ベソで悪夢を食べている。さらには、子獏が通う獏学校では、「怪獣が出てきた場合」や「繰り返し見る場合」なんて授業があったりして。ハリーポッター顔負けの愉快な話が展開しそうである。(あき子)

過去はみな獏に喰はせり松迎へ  ぎふう

★新年の季語に「獏枕」という言葉がある。これは、正月の枕の下に、獏の描かれた版画を敷いたり、直接枕に描いたりして、明くる日からの一年間の夜を守るとされた風習である。獏の描かれた枕は室町時代より出現しているというから、かくも長い間、獏は夢を食べる霊獣として日本人に親しまれているのである。また、東京都目黒区の羅漢寺には、羅漢に混じり獏が祀られているという。この像の前で悩みを話すと、全ての悩みを飲み込んでくれるといわれる。そこで掲句を見直すと、過去と決別するため、すべての憂いを獏に吐露する作者の横顔が浮かんでくるのである。(あき子)

神無月過労の獏の眠りをり  米川五山子

★「過労」という言葉に出会って、はっとした。先日上野動物園で獏の檻の前に「体調不良のためお休みさせていただきます」の貼り紙を見たわたしは「悪い夢でも食べたのであろうか」と、ついつい面白おかしく夢と直結させていた。わたしは獏という変わった生き物の前で、「鑑賞される動物」の悲しみを忘れていた。食べる、眠る、排泄する、その生涯を過ごす場所は「檻」なのである。全てをさらして生きていく動物たちの過労は、考えるだけで切ない。(あき子)

冬ざれや薄目の巫女獏に似し  平田雄公子

★「薄目の巫女」という、このフレーズから、広がる世界は大きいように思える。この言葉によって、にわかに異次元の空間が切り開かれてゆく。たとえば、薄目という言葉が添えてなかったらどうであろう。日常的な神社の社務所に収まる巫女の風景だけでおわるではないだろうか。言葉とは不思議な働きをするものである。そして、さらに異質な世界に引き込んでゆくのが、悪夢を食べてくれる獏の存在である。蕭条とした冬ざれのなか、鮮やかな巫女姿がさらにあざやかになってゆく。(喜代子)

満腹の獏の寝そべる秋日和  RICKY

★満腹にふくらんだ中身は、言わずと知れた「悪夢」なのである。うららかな秋日和に、邪悪な夢を詰め込んだ獣の午睡。赤頭巾や、七匹の子ヤギに出てくる狼が、お腹をふくらませ寝そべる姿と決定的に違うことは、獏は涙して悪夢を詰めているような気がするからである。戦禍は続き、悪夢は夜毎に増えていく。秋の日和に獏の安らかな午睡を願う。(あき子)

帰りなんいざ霜月の獏連れて  宇都宮南山

★先日動物園に獏を見に出かけた。そこの檻に神が色々な動物を作った余りで作られたのが獏だとされている、という説明があった。実際、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎、全体は熊に似ているといわれている。掲出句はこの事実より「悪夢を食べる」という獏を念頭においての作品だとおもう。どちらであっても、何故か「霜月の獏」が、作品の構成にリアリティーを与えている。獏に食べさせる夢は何なのだろう。(喜代子)

長き夜のうつつに獏を飼ひ馴らす  けい

★長き夜のうつつとは一体いつなのだろう。うつつは現である。この「うつつ」を現実と解釈するのであれば、実在する獏を秋の夜長に育てている、となってしまう。しかしながら、「長き夜」と「獏」が共鳴することにより、この獏は、現実と夢のあわいに存在する作者の分身とも見えてくるのである。作者は真に眠ることもせず、分身である獏に夜通し問いかけ、飼いならしているのである。不思議な感触の句である。(あき子)


予選句

凩やかけゆく獏を追ひつづけきよみ
相棒の獏のいびきや日向ぼこ宇都宮南山
今朝の夢獏に委ねし小春かな千秋
短日や象にはなれぬ獏の鼻ゆうゆう
冬の夢すべてを映すは腹の中斬花
小六月獏狂はせし恋の夢米川五山子
テロリズム獏に食わせむ冬隣る高浜魚子
獏の目に母の夢見し霜夜かな好焼
獏鍋や夢の廃墟に影長し川野蓼艸
冬安居胸内(むなち)に獏を棲はせて川野蓼艸
見果てぬも獏に託して神送り宇都宮南山
秋晴や夢を喰ひ過ぐ獏の腹RICKY
稲妻に獏うろたえるテロリズムRICKY
獏の名の謝罪メールや末の秋宇都宮南山
茫洋と秋白日夢獏笑ふゆうゆう
露の世の獏食べ残す夢ばかり平田雄公子