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祝電の一番乗りや春立ちぬ   かよ

★祝電の中の祝電はまさに一番はじめに到着したそれだろう。その祝電によって祝いが現実のものと実感されるからである。まさに季節でうけとめた確かな感覚が「春立ちぬ」の季語に行き着いたのである。(喜代子)

祝の鯛干からび初む春の宵   戯れ子

★鯛のお頭付きで祝うのは、日本の伝統の最たるもの。大きな鯛が目前に据えてある。みんなでその身をほぐししながら食べてもまだ余るような大きな鯛だったのかもしれない。この句はその据えられた鯛を目の前にしながら、なかなか乾杯にまでたどり着かない式典をシニカルに捉えている。それもまた、「春の宵」の物憂い気分を盛り上げる。(喜代子)

桜鯛ながき祝辞に耐へてをり   山口紹子

★戯れ子さんの「祝いの鯛」の句は内面を物に託した方法をとっているが、この句は「耐えてをり」という直截的な心情吐露の方法を取っている。祝いの席に「耐へる」という叙述の大仰さが諧謔である。たしかに祝辞は短いほうがいい。(喜代子)

冬星の羅列祝辞として見上ぐ   猫じゃらし

★祝いの席の帰り道、夜空に散る輝く星を見上げ、「まじでオレよくやったよな」と感慨がしみじみと胸にこみ上げる。「星の羅列」と乱暴に表しているが、実は「冬のダイヤモンド」と呼ばれる最も祝辞にふさわしい六角形が、頭上に輝いていることも知らずに。(あき子)

長靴を履いて祝ひや春の雪   ハジメ

★雪国では、祝いの席に出かけるのも、まずは長靴で移動するのだろう。やわらかで水っぽい春の雪ともなればなおさらである。「長靴」という祝いの席から遠く離れた履き物が臨場感を伴うのは、ハレの場であっても、日常から続いているのだという生活臭さが心地良く伝わるからだろう。(あき子)

祝はれて春の夕日のむず痒し   順子

★祝辞と万雷の拍手に身をゆだね、ここで祝われているのは確かに自分でありながら、どこか他人事の気分に捕らわれている。それは、延々と続く歯の浮くようなねぎらいのせいでもなければ、荷が重くなるような期待のせいでもない。あまりにロマンチックな春の夕日が、窓を鴇色に染め、作者をむず痒くしているのだ。(あき子)

祝日の父にあづくる子猫かな   坂石佳音

★子猫とはフワフワで、愛らしく、無防備で、しかもそれを最大の武器として、何かを常に要求しているような物体である。半年もすれば普通の猫になってしまうと分かっていても、子猫と名の付く半年間はそりゃもう文句なく可愛い。その貴重な愛らしい時期に、よんどころない事情で父親に預けるのだ。預ける側としては、何もかも心配である。ミルクはこれくらいにあたためて、とか、トイレの場所は決めて、とか、外に出しちゃだめ、とか、やたら注文が多い。「たかが猫である」と気楽に構える父親と、全く我関せずに眠っているであろう子猫の姿はなかなかいい組み合わせである。(あき子)

掌に祝辞の二行桃青忌   道草

★たった2行とは、一体どんな祝辞だろう。一番短い手紙として有名な「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」ばりの祝辞である。そういえば、俳句のパーティーに出席した詩人がもらした「俳人の挨拶は長い」のつぶやきは痛烈な皮肉であった。掲句では、心覚えのため挨拶のポイントを手のひらにメモしているような景色もあるが、ここはひとつ桃青忌の芭蕉翁の名の下、「さすが俳人」と頷けるようなメリハリの効いた切れのある短い祝辞を心掛けてみたいものだ。(あき子)

お祝いはまだ先のこと牡丹の芽   曇遊

★近い未来に祝い事が待っているという気分はいいものだ。まだ先ではあるが、確実に控えているという安心感が、それまでの日々を幸せにしてくれる。どんなお祝いでも、現実は決して楽しいことばかりじゃないことを既に承知しつつ、まだ客観的な視線で心弾ませることができる期間である。視線の先にある牡丹の芽も、これから咲く艶やかな姿を思い描くことができる楽しみが、この紅色の芽を一層愛おしいものにしている。(あき子)

祝杯のグラス触れ合ひ春の雪   ショコラ

★宴の中の祝杯のグラス触れ合う場面、この瞬間を選んだことが、作品をいきいきとさせている。「ににん」も昨年11月の末に5周年祝賀会を行なったばかり。たしかに、この瞬間が一気に宴の気分を盛り上げるようだ。俳句は何処を切り取るかが命である。そここで起こる談笑とグラスの触れ合う繊細なひびきに和すように、春の雪が降りしきる。(喜代子)

天地に祝詞吸はるる山始   岩田 勇

★「山初」とは、木材伐採などに従事する人が、新年始めて山に入るときに行なう行事、山への挨拶と安全への願いが込められている。それらの祝詞が天地に吸われていく、と感じるのは作者の感性である。山麓の静けさと澄み切った空気が伝わってくる。(喜代子)

祝い着の帯もよこせと雪女   ミサゴン

★雪女と呼ぶとき、人はそれぞれの女人のイメージを立ち上げる。怖さ、はかなさ、憧れを組み立てた雪女は言ってしまえば虚像である。それに反して、「祝い着の帯もよこせと」はなんとも卑近な現実である。その反転が雪女の怖さ、はかなさ、憧れをいっそう引き出しているように思える。(喜代子)

祝ひ事多き春の日袱紗買ふ   siba

★ご祝儀袋を包むための袱紗を買い替えることなど、普段考えもしないもののひとつだろう。しかし、作者の買ったであろう慶事用の袱紗にあれこれ思いを馳せているうちにふと、なんだか私も新調してみたくなった。あたたかい春の日に選ぶ袱紗。それはとても贅沢で幸せな買い物であるような気がする。(あき子)

春寒や祝辞に二度の忌み言葉    潅木

★なんとなく確認のため、と「忌み言葉一覧」を見て驚いた。戻る、去る、帰る、出る、切れる、別れる、離れる、流れる、壊れる、破れる、滅びる、終わる、失う、病む、死ぬ、繰り返す、と際限なく続く。言ってはいけないことはもちろん理解していても、これだけあれば文中にうっかり使ってしまうこともあるだろう。また一度口に出してしまった失敗を挽回するために、さらに念を押して使ってしまったり。退屈な長い祝辞には閉口するが、それだけの長さの祝辞のなかにひとつもこれらの言葉が使われずに構成されているとしたら、それはそれですごい作品なのではないか、と思えるようになりそうだ。(あき子)

食初の祝いの膳に小石添え   町田十文字

★「お食い初め」という何とも可愛らしいこの行事は、赤ちゃんが生まれて100日目に、生涯食べることに不自由しないようにと願う。お膳の真ん中に石を3つ置くのは、丈夫な歯が生えますように、との願いである。そういえば乳歯が抜け替わる時に「ネズミの歯より強くなれ」と言って縁の下や屋根裏に放り込んでいたことを思い出す。それにしても少子化のせいか、このようなお子さま向けのお道具は昨今絢爛豪華になる一方のようだ。清潔な小石付きのお食い初めセットがうやうやしく販売されている。(あき子)

父の字の祝儀袋や春隣   双葉

★例えば、結婚した後の祝いを実家からもらったのだと考えた。実家の名字が、父のあらたまった字で書かれている。親は娘を手放す前からこんな日のさびしさを想像していただろうが、娘にとっては思いもよらない形で胸に迫る瞬間となったのではないか。春の兆しが見え隠れする明るさの中で、この奇妙な孤独感に一層とまどっているのだ。(あき子)

祝女(のろ)の指すニライカナイや初茜   きっこ

★沖縄の祝女は、私たちが考える「占い師」や「巫女」とはかなり違う。旅先でふと足を伸ばした久高島で祝女の話を聞いたことがある。久高島で生まれ育った30歳から41歳までの女性が「祝女」となるための条件は、二夫にまみえてはならず、島外の男と結婚した者も除外される。選ばれた「祝女」は夫にも明かしてはいけない名前を継承し、神そのものとなってあがめられる。その後、女たちは島を出ることも叶わず、70歳の退役の儀式まで黙々と神として島に仕える。ニライカナイもまた、私たちが考える「楽園」とは随分違うものだろう。海に暮らす者にとって、海とは幸いを運び、また災いも招く大いなる象徴である。赤く染まる水平線を指の先に乗せ、祝女は何をつぶやくのだろうか。(あき子)

をみなごに太陰(つき)の祝ひや春袷   shin

★太陽暦に対して太陰暦。明治以前の太陽太陰暦は太陰暦から派生し、月の運行を生活の基本にして季節を過ごしていた。掲句「をみなご」とは女子のこと。月の祝いとなれば、おのずと結びつく成長の祝いがあるが、ここはあっさり旧暦の祝い事として、春のやわらかな衣装を楽しみたい。(あき子)

御祝によく鳴く亀を貰ひけり   宗一郎

★「亀鳴く」は春の季語。歳時記には「春になると亀の雄が雌を慕って鳴くというが、実際には亀は鳴くことはなく、情緒的な季語」とある。季語にはこのように真面目な顔して言われる冗談のようなものがある。というわけで、掲句も本物の亀をもらったわけではなく、こんなものもらったら楽しいだろう、という空想なのだろう。確かに、こんなプレゼントならぜひもらって「ほら、本当に鳴くんですよ」とあらゆる句会に出てみたい(笑)。(あき子)

「祝開店」恋に敗れし友より花   高楊枝

★どんな種類の開店のときでも、店頭に、店内にお花が溢れる。その賑わいが開店を景気つけることにもなるのである。しかし、作者はたくさんの花の中から、友人、それもつい最近失恋を経験したばかりの人の名をみつけたのである。祝いの慌しさの中で、ふと作られた静寂が、風景に深み与えている。(喜代子)

祝日を変え摩訶不思議雪積もる   acacia

★今の時期の祝日といえば成人式のことだろう。成人式は2000年から1月第2月曜日に変更されたのである。しかし、わたしの頭の中には、1月15日が成人式とインプットされたまま、なかなか新しいやり方に馴染まない。作者の心の中にもきっとそんな拘泥があるのだろう。祝日というものは、その日そのものに祈願のようなものも込められているのだ。 だから「雪がこんなに積もってしまったんじゃないの」と、今年のあきれるような雪積を眺めている作者がいるのだろう。(喜代子)

大漁旗冬空高く祝うかな   遊子

★大漁旗を掲げた船が賑々しく波間に姿を現す。海を仕事場にしている男を待つ身が、岸から一番に見つけられるよう、こんなにも派手に作られていることを思うと、この極彩色の旗を目にすることの嬉しさに切ないほどの愛を感じる。冬の抜けるような青空を背負い、船は女の待つ陸を目指す。(あき子)

猛者ふたり膝を崩さぬ祝の膳   蝉八

★朱塗りの祝の膳を前に大男が納まっている様子がいかめしくも滑稽である。祝宴が進むなか、猛者ふたりは一向膝を崩す気配もない。無口で武骨なこのふたりを、周囲がやや持て余しているような空気をまた愉快に想像してしまう。(あき子)

成人を祝ふショールやをんな坂   泰

★成人式の振袖の肩に乗せた華やかなフェザーショール。しかし、このショール、その後一切使用した覚えがない。二度と使うことがない真っ白なショールと、どこまでも続く緩い坂が、どことなく成人後の女というものを象徴しているように思える。(あき子)

命祝ぐかたちの冨士や初霞   平田雄公子

★富士山を形容する言葉はさまざまあるが、「そびえ立つのではない、軽やかに天から垂れ下がっている」と書いたキャサリン・サンソムの言葉が一番印象深い。彼女は富士山に男性的な雄大さではなく、夢であり詩でありインスピレーションを見ると言う。「命祝ぐかたち」と捉える掲句の作者もまた、富士山をあらゆる美の象徴として眺めている。(あき子)


予選句

卒業の娘を祝ふ独り酒ハジメ
祝宴の大き輪に座す桜かな
夜半の春祝髪おもひつつ眠るこうだなを
祝杯や主賓をおいて鍋つつくりゅう
祝われて梅に思案の六十路入りせいこ
達筆な祝儀袋や曾ばあさん岩田勇
内裏雛祝ふをみなの紅盗み
祝言の佳境となるや春障子夏海
定年の門出を祝ふ五月病石田義風
佐保姫の舞祝いたる野や山や曇遊
牡丹雪嫁御の快気祝いかな遊子
祝砲の音とも聞けし春の雷かよ
寒き春叙勲祝の記念品
梅咲いて命名祝ふ墨書かな 遊起
友二忌や祝いのごとき牡丹雪 岳青
薀蓄の快気祝ひや春の暮
快復を菜の花添えて祝いたり遊子
梅匂ふ裏通りから祝婚歌戯れ子
梅一枝自祝の卓を彩りぬ順子
カタルーニャの鳥の囀り祝い歌 戯れ子
湯豆腐で私一人の祝い事徳子
祝電に春の音楽付いてくる 徳子
なんでもないでも祝いたい君がいるカン
卒業の祝ひ蒔絵の万年筆siba
寒の入り誕生祝ふ赤子かな童子
叩かれてもの言ひたげな祝棒shin
祝箸菜箸となり花菜和へ遊起
山茱萸や寡黙な父の祝婚歌ショコラ
むくつけき男を祝ふあらせいとう森岡 忠志
三月の買ひ置く祝儀袋かな森岡 忠志
爆竹や雪乾きたり祝新年
俳人に二十日祝を教えらる宗一郎
厄祝い猿はじかれて福を呼ぶ遊子
先生の短き祝辞卒業すみぶこ
祝い皿鳳凰の舞う春の色曇遊
厄祝い福を呼ぶかな河豚料理遊子
寒波来る予報何する祝酒
七日粥げに慎ましき祝い膳まさお
祝電や「サクラサイタ」と雪の中赤兎馬
住職の快気祝ひや雪の花
祝婚歌ささやかにして震災忌海月
愛しい娘に送る厄年祝いかな遊子
誕生日祝ふその日は冬震災
祝ったね三々九度の年賀状曇遊
「祝・土・日」学力談義囲炉裏端yamayan
祝日に異議ある期日開国日遊子
おまかせの浮き世にも節祝月秋津子
成人式羽目を外さず祝はれよyasue
初声や住吉さんに祝詞してハジメ
コンビニに不祝儀袋冬漸るる山田厚
空っ風風呂敷包み内祝い遊子
祝人の髭剃りあとの青さかな石田義風
爺の春快気祝ひに孫の酌高楊枝
橿原の宮の屠蘇祝ぐ果報かな渡辺時子
初電話祝辞違えて御愁傷岩田勇
入学の祝辞一言おめでたう岩田勇
来賓の長き祝辞や成人式岩田勇
閏日もすべて祝日粥柱潅木
擦り手で祝辞終えたる古老かな遊子
祝い膳笑顔で年の初めかなacacia
お祝いに「春光雪」と文字を副え
新春の祝詞を述べる山城屋赤兎馬
酒なしに元日祝う孤老かな遊子
白い雪白い子犬に祝い酒遊子
祝ふとて越の寒鰤とどきけりたかはし水生
祝ひ箸名前を書して主顔
祝杯を高々上げし年始め赤兎馬
けだるさや仕事初めの祝酒栗原光雄
祝宴や障子の影で涙かな栗原光雄