今までの兼題
第1回 | 海 | 第2回 | 岩 | 第3回 | 風 | 第4回 | 雨 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第5回 | 地球 | 第6回 | 獏 | 第7回 | 焔 | 第8回 | 鎖 |
第9回 | 闘 | 第10回 | 鬼 | 第11回 | 面 | 第12回 | 悪 |
第13回 | 数 | 第14回 | 憎 | 第15回 | 兄弟 | 第16回 | 骨 |
第17回 | 青 | 第18回 | 飛 | 第19回 | 指 | 第20回 | 輪 |
第21回 | 五 | 第22回 | 進 | 第23回 | 祝 | 第24回 | 角 |
第25回 | 羽 | 第26回 | 貧 | 第27回 | 洋 | 第28回 | 雀 |
第29回 | 父 | 第30回 | 肩 | 第31回 | 円 | 第32回 | 満 |
第33回 | 馬 | 第34回 | 白 | 第35回 | 黒 | 第36回 | 赤 |
第37回 | 黄 | 第38回 | 家 | 第39回 | 書 | 第40回 | 万 |
第41回 | 広場 | 第42回 | 鉛筆 | 第43回 | 映画 | 第44回 | 路地、露地 |
第45回 | 近江、淡海 | 第46回 | 時計 | 第47回 | 正座 | 第48回 | 手足 |
第49回 | 引力 | 第50回 | 受信 | 第51回 | 凡人 | 第52回 | 書架・書棚 本棚・書庫 |
第53回 | 進化 | 第54回 | 硝子 | 第55回 | 暗闇 | 第56回 | 猛犬 |
第57回 | 坩堝 | 第58回 | 位置 | 第59回 | 青森 | 第60回 | 模様 |
第61回 | 王様 | 第62回 | 四角 | 第63回 | 半島 | 第64回 | 懸垂 |
第65回 | 全身 | 第66回 | 回転 | 第67回 | 珈琲 | 第68回 | 反対 |
第69回 | 夫・妻 | 第70回 | 隣人 | 第71回 | 危険 | 第72回 | 書類 |
第73回 | 眼鏡 | 第74回 | 午前・午後 | 第75回 | 人形 | 第76回 | 世界 |
第77回 | 仲間 | 第78回 | 教室 | 第79回 | 椅子 | 第80回 | 阿吽 |
第81回 | 土地 | 第82回 | 煙突 | 第83回 | 階段 | 第84回 | 曖昧 |
第85回 | 出口 | 第86回 | 文句 | 第87回 | 第88回 |
小春日や空き箱ためて貧乏性 たんぽぽ
★土地にしろ建物にしろ、坪単価の高いところに女たちは空き箱、リボン、包装紙とすべて解いた、使用済みを溜め込む。男はそれを笑う。けれど世の中はそれで均衡が保たれている。走りすぎればスローな時代を懐かしく思うのだ。掲句は季語小春日の作る穏やかな雰囲気が、微笑ましい、つつましい貧乏性に仕立てた。(恵子)
★何かと物を買ったり貰ったりしたとき、後に残るのは包装紙や空き箱である。言われて見れば沢山の箱が、何時の間にか溜まっているものだ。貧乏性とでも、何とでも言い給え、我輩は溜め馬するぞ・・・。徐々にではあるが、資源として回収され再利用のみちが確立されつつあることがうれしい昨今ではある。「小春日」の季語の働きで「貧乏性」が解消。(竹野子)
★とっておけばきっと役に立つにちがいない嵩張る箱やきれいな小箱をついつい捨て切れない性格。ものを大切にする気持と、物がなかったころの記憶が頭を占めてしまうのだろう。『捨てる技術』なるベストセラーが浮かぶのは、大掃除の時期が近づいているからかもしれない。貧乏性といいつつ小春日の季語にはほほえましいようなぬくもりがある。 (千晶)
貧相を持ち堪へゐし冬の雲 泰
★貧相に対して春、夏、秋の雲を持ってきても納まりはしない。貧を用いながら、冬の雲という大きな景を歌い上げ、貧相な雲という滑稽さをも醸し出している。(恵子)
貧血や橡の葉疎ら冬日差し acacia
★貧乏から飛躍するのは難しい。acaciaさん貧乏から見事に冬日差しにへとジャンプした。冬日に光る橡の葉の感覚も見事。(もとつぐ)
貧困は諸悪の本か大枯野 岩田 勇
★貧困は、諸悪の本の如く言われるが、どうしてどうして、貧困をばねとして豊かな経済力を身につけた人は数多くあるが、経済大国と言はれるわが国の現状は如何なるものか。 将に、大枯野の様相を呈しているではないか、人々のこころは荒び切ってしまったのか。冬も終わり万物生成の春、即ち、人々の豊かな心の通い合う春の訪れが待たれる。「季語」の「大枯野」の荒涼たる情景が多くの事象を捉えている。(竹野子)
貧しくて角在る話冬ざるる 遊子
★「貧しくて角在る話」の意味は分からない。しかし、分からないなりに血肉をつけて膨らませる要素を持っている。多分角のある動物が物語的で、角が生えるという形容がまた物語を生むからである。冬ざれの空気を伝えてくれる作品である。(喜代子)
あの頃はみんな貧乏新酒酌む shin
★戦前派、戦中派と呼ばれる年代の人達にとっては、「あの頃はみんな貧乏」というだけで理解される。戦後、すなわち昭和二〇年代は物資不足だった。欲しくても、何処にも無かったのである。回想すれば、あの頃は貧乏そのものだったのだなーとしみじみ感じる。しかし、みんなが貧乏だったのだから、それを貧乏と感じる意識はなかったのである。いま目の前にする新酒の美味しさが、当時を懐かしいものとして甦らせるのである。(喜代子)
貧しさの貧しさありぬ放屁虫 潅木
★貧しさは主観的な問題ともいえる。何を持って貧しいというかは、個人的な見解。作者の位置は単なる貧しさなのかも知れない。そう、認識することが、この作者の明るさであり、強さなのである。(喜代子)
★先日、山梨県の山ふもとへ紅葉狩に出かけた。一卓に八人が詰めあって苦吟の真っ最中、放屁虫の猛襲にクサイクサイ、クサクはしばし中断また中断。闇に投げ打っても投げ打っても立ち戻ってくるのか、別物が這い出るのか。放屁虫はどうもほつれた畳が好きらしい。いや、言葉の貧しい面々に、悪臭ならぬ愛想をふりまいてくれたのかもしれない。(昌子)
★一句を拝見してあの放屁虫もまた貧しき我と同類項であったことに気付かされた。貧しさはただの貧しさではない、たくましく生きる放屁虫に負けず、俺も放屁一発。生きる力がわいてくる。(もとつぐ)
爽やかや托鉢僧と貧しさと 和人
★托鉢僧の内面はもとより、すっと立って身じろがぬあの外見はいつもはっと振り向かされるものがある。この托鉢僧と貧しさをセットにして、爽やかや、と言い切った。まことに爽やかな一句である。貧しさが爽やかさにとって変わったのは托鉢僧に触発されたこともあろうが、貧しさという語感を晴れやかに転換した作者の理知と情感の深さこそいっそう爽やかに思われる。(昌子)
枯葉散る足し算のない貧しさや 遊子
★遊子氏には〈貧の字に言の葉溢る鰯雲〉がある。どんなマイナーなものからも言葉が溢れるように湧いてくる作者には脱帽である。さて、「足し算のない貧しさ」からは、枯葉がつぎから次から底なしの如く降ってくる実感がある。同時に言葉のこぼれてゆくばかりのわが貧しさの実感でもある。でも、落ちるかぎりはいっそ落ち尽くしたほうが、すかっと輝きがもどりますよ、というよう明るさを秘めている。底光りのする一句である。(昌子)
貧するも振れる袖あり七五三 lazyhip
★「無い袖は振れませんわ」、「ホンマ、ホンマ」、子供の頃よく耳にした、大人のかけあいである。親の心子知らずの頃であるから、そんな光景は何だか楽しそうで明るかった。無い袖は振れまr?せぬ、といいながら、子供のためなら命がけ、何とかやりくりして最大に愛らしく着飾らせるのは昔は今も変わらぬ親心であろう。子供の成長を願いながら、そうやって親も成長してきたことをあらためて有り難く思われる。(昌子)
相伝の器用貧乏冬至粥 たかはし水生
★器用貧乏は、大成しないなんてことはない。不器用な人間から見れば器用はなんともすばらしい才能である、しかも相伝となると、人様の為にどれほどか貢献されたことだろう。謙譲しながらも、先祖代代の資質を受け継いできたことに、これでよかった、と頷いておられる。「一陽来復」のこの日、小豆のお粥をたっぷり味わって、まだ夢を失わない充実感がそこはか伝わってくる。(昌子)
★なまじ器用なために、あれこれと気が多く、人には都合よく使われて大成しない器用貧乏。それも親ゆずりであるのだから念が入っている。冬至粥をすすり、疫鬼を払って、健康を願いつつ、重宝がられることもまた人徳であろう。(千晶)
★親譲りの優勢遺伝器用は、物のない時代に、どれだけ力強いことであったか。団塊の世代で土を求め、農業と言う生産に身を置きたがる人が増えていると聞く。 器用なことがどんなにか頼もしいに違いない。掲句冬至粥の持つ恙無くきた一年と、粥の湯気を彷彿とさせる温もりが、家庭内の何もかもが便利に重宝に整えられている様子と見受けられた。(恵子)
★戦中、戦後間なしの世代は、貧乏に耐えることと、物事に積極的に取り組んでいく智恵と器用さを、日常生活の中から学んだものだ。それも、祖父母から父母へ、父母から子、孫へと実体験として相伝されてきたものだ。冬至粥のほのかな香りが卓にひろがり、飽食と何でもありの時代を危ぶむ真情が伝わってくる。(竹野子)
新蕎麦や貧しさ言へば友もまた たんぽぽ
★お蕎麦党ではない私にも、とびっきりおいしそうな新蕎麦が一読して実感された。こんな新蕎麦は初めて味わった。俳句っていいなあ、、、と思うのはこんなときだ。こんな上等の新蕎麦をすらっとご馳走になったことを作者に感謝したい。(昌子)
貧しくも男の面子天高き 遊子
★現代の男性への応援歌貧しくも上を向こう。女性には解らぬ男の面子意気高く。(もとつぐ)
退屈を紛らす貧乏ゆすりかな 遊子
★へたな弁解聞く耳持たず・・と言いたいところだが、貧乏ゆすりが退屈をまぎらす術であったとは。いやはやどうして、我輩のことを言われたようで、脱帽・脱帽。(竹野子)
貧乏に経緯ありて暮れの秋 遊子
★斜めが加わっていたら、解決に手間取ったかもしれない。縦横の計が出れば原因はすぐわかる。妙に納得させられる姿の好い句。(恵子)
神無月貧乏神の残りけり 乱土飛龍
★神無月を歳時記にひもとくと、〈風寒し破れ障子の神無月 宗鑑〉、〈捨舟に雨たまりけり神無月 梅室〉、〈空狭き都に住むや神無月 漱石〉等など、さすがに殺風景である。これぞ、まさに「貧乏神の残りけり」である。俳諧味たっぷりにして季語の本道を外さない、ツボを心得た乱土飛龍氏である。(昌子)
★旅費が無かったのかしら? それともわが家から離れなかったのかしら、と解釈してみたら、とても面白かった。貧で笑える巧みな使い方に敬服しました。(恵子)
★日本中の神々が出雲大社に参集し、地方の神社は留守になる旧暦の10月が神無月である。ついでに言っては気が引けるが、貧乏神さまも、今からでもなく遅くない。どうぞご出立くだされ・・あなかしこ、あなかしこ。(竹野子)
治家に貧者の顔なく秋深む じゃが芋
★昔の政治家は、財を投げ出して名誉とした人が多かったように思うが、戦後、特に昨今の政治家は政治屋に成り下がってしまったように見える。豊満な体躯と懐具合は豊かなようだが、国を思う気概と庶民の生活を向上させる政策は、実に乏しく、その憂いは募るばかりである。「秋深む」の季語の働きがよく、諧謔的思考が伝われば、一句として成功。(竹野子)
秋の夜やひとつ貧しき星の色 潅木
★秋の夜といえば、澄み切った空気と月や星の美しい情景が眼に浮ぶ。吸い込まれそうな星の瞬きの中に冴えない星を見つけた。その星こそ、人類が営々と環境を破壊してきた地球の放つ貧しき光ではなかったろうか。地球も小さな星のひとつに過ぎないことに思いを馳せたい。(竹野子)
★巡ってきた秋は収穫に、スポーツに、行楽に何かと盛んなせわしい季節である。そして夜も夜長の到来で、楽しみは尽きない。月をしみじみ仰ぎ、星座を追いながらその中には一際輝く星もあり、その逆も見つけたのだった。それを光度ではなく星の色と言いとめたところにこの句の魅力があるとおもう。貧と言う使いにくい文字に全く無理がなかった。(恵子)
天高し貧乏くじの留守番に 遊子
★世は正に、秋の風情の真っ只中。やんごとなき留守番の事由は定かではないが、留守番にあたったのは自分であり、何とも貧乏くじを引いたものであるが・・・。華やかさの裏側にある、読書や物思いに耽ることも、秋の趣であり、内面を磨き高める侯であろう。貧乏くじの留守番から、楽しい留守番に変身したい。(竹野子)
★素直に分かり合えます。貧乏と言う語を扱いながら、ほほえましく、且つ明るい作品の読める力量を尊敬します。(恵子)
貧しき日虫のすだきと母の膝 星野華子
★「貧しき日」といいながらも、作者はその貧しいと思われる時代を懐かしく思い出しいるのである。その中でもことに「虫のすだき」と「母の膝」に焦点を当てて、表現とはうらはらな豊かな思い出なのである。(喜代子)
貧乏は嫌ひ昼寝とツナが好き 猫じゃらし
★そう、誰でも貧乏は嫌いである。今年のノーベル平和賞は、バングラデシュのムハマド・ユヌス総裁である。「貧しいものが貧しいのはお金がないからである。」と無担保融資を続けてきた人物。掲句の作者は貧乏が嫌いの後に好きなものとして「昼寝とツナ」だと言っている。まさしく猫になり切ってこの世を眺めているのである。これも、一つの作句方法である。(喜代子)
貧すれど品はなくさず星月夜 りゅう
★「貧すれば鈍する」ということわざは昔はよく聞いたがr?、今はどうであろう。格差社会になれば又頻出するかもしれない。いずれにしても、りゅうさんは清らかに生きようと衿を正している。暗い夜空であっても、星の光が月にもまさる明るさをもたらしてくれるように。(昌子)
貧しくて寒くておしくら饅頭 森岡忠志
★子供の頃はいたるところに路地や原っぱがあった。そこらで、大勢が集まるとすぐおしくら饅頭になった。だが、ルールなどは思い出せない。ただ寒くて楽しくて、ぎゅうぎゅうギュッギュッ、饅頭から餡がはみだしたり詰め込んだり揉みあっていた、その温もりだけは覚えている。戦後の子沢山の貧しい時代のことである。破調が見事に決まっている。まさにおしくら饅頭の「おし」がはみ出た感じになっていて、まこと、うまい。(昌子)
貧乏を知らぬ子と貼る障子かな 遊子
★〈見るうちに薄墨になる漬け障子 能村登四郎〉からは古障子が偲ばれる。又、〈縁に日のさし来る障子貼りにけり 鈴木真砂女〉からはあたたかな明るさがもたらされる。遊子さんの一句は、そんな情景とともに、部分的に継ぎ貼り等もしているのであろうか、その手元にこもる懐旧の情がしのばれるのである。そもそも障子そのものが現代では希少であることを思えば〈貧乏をしらぬ子〉にとっていっそう幸せな光景である。(昌子)
案山子立つ風に貧乏ゆすりして ハジメ
★常に俳句を意識し課題を意識して生まれた作品だとおもう。間もなく役目を終わるゆるみだろうか。貧乏ゆすりが具体的に状態を教えてくれた。先日小田急線の栢山駅から歩いて15分、二宮尊徳の生家近くの田に案山子を見た。マネキンのかしららしい美男の若者風で、白いTシャツを着て5本ほどある。それだけでも妙な感覚なのに全員小田急線に背を向け、人が歩く方に顔が向けてあった。近所でも笑い話になっているという。(恵子)
★おしくら饅頭をして子供が遊ばなくなって久しい。寒い日には校庭でクラス中の生徒が重なるようにもみあって、体から汗がでるほど温まったものである。「貧しくて寒くて」と作者はたたみかけるが、最後の「おしくら饅頭」の語でレトロだが、こころ豊かだった子供時代を思いおこさせてくれる。 (千晶)
陋屋に月も貧しくなりにけり 石田義風
★何と渋い句であろう。一読して、蕪村の〈月天心貧しき町を通りけり〉が思われるが、義風さんの句は、この句の逆転の発想ともいえるものである。清貧の居住まいに、うすうす眉月がかかっているのであろう。清らかさここに極まれり、月にもの思う心の静けさがつくづくと偲ばれるのである。(昌子)
岸和田に貧富などなき秋祭り 遊子
★テレビのおかげで岸和田の祭りと聞くだけで、勇壮な画面が思い浮かぶ。通りに面した家々には破損に備え、保険が掛けられるらしい。駆け抜ける一瞬に何をおもうのか。誰も彼もがつつがない成功を願い、手に汗握ることであろう。中七「貧富などなき」に全ての人々が無になり、参加する姿が鮮明である。(恵子)
★大阪府岸和田市といえば、「だんじり」、である。毎年9月に行われる、だんじり祭は、江戸時代から300年続いているとか。小さな城下町はいまや大阪のベッドタウンとして、いよいよ発展しているのであろう。その証しは、年々のだんじり祭の強烈なパワーに見せつけられる。祭の日、町衆は、命をかけて山車を曳きあう、その荒っぽさに取るに足らないことなんぞはみんなもみ消されてしまう。岸和田にはスカッとはれr?た秋天があるばかり。大阪生れの私にはとてもなつかしい共鳴の一句。(昌子)
貧血の子は集められ草の花 乱土飛龍
★貧血の子がそんなに集めるほど居る情況があるのだろうか、と思いながらも、その子供達の存在が草の花の季語によって映像化してくる。また貧血の一語によって、華奢な手足を持った子供たちの集団が、少し現実離れをした風景としてさわやかな絵に収まっている。(喜代子)
貧しさや終戦の日の白御飯 遊子
★終戦日である八月十五日は、いまでもぎらぎらと灼けつくような暑さのなかに、戦争の無残な記憶をとどめている。食べるものすらなかったという。眼前のふっくらと炊き上がった白米に、かえって時代の貧しさを作者は感じたのであろう。(千晶)
貧乏と知っているのか鰯雲 遊子
★貧乏を貧乏と歌ってしまえ ば面白さがない。鰯雲から貧乏の連想がでてくるのが秀逸。「ほんとに俺は貧乏かよ」貧乏であることの豊かさはいずこえ。 (もとつぐ)
台北の貧民街やあかとんぼ ショコラ
★東京さんや、横浜ことぶき町、関西かまがさきと、わが国でも同様な響きを持つ地名が浮かぶ。掲句の固有名詞が、他国のそれも台湾最大の都市名である。しかし、町ではなくより大きい街であり、さらに季語あかとんぼの持つ明るいイメージが生かされ、固有名詞に傷はつかないと思う。あかとんぼがメルヘンな雰囲気を広げ、暗い貧しさを遠ざけた。私が台湾を吟行したのは30年前であった。桃、竹の文字のつく駅を列車で通過し、物陰に銃を携帯する兵隊の姿を見て、この国が戦時下だとしみじみ思ったことであった。「農きょう」さんが歩いた後で、地方ではブロークンな日本語の小娘に扱われたことを思い出した。(恵子)
貧相な手相占う鱗雲 十文字
★「貧相な手相など占う必要がない」と言ってしまえば味も素っ気も無くなる。鱗雲は斑点状、又は列状に広がる雲で秋の多く、鯖雲、羊雲と共に、鰯雲の類語であり、一般的には鰯雲を使うことが多い。「鱗雲」を季語に据えたらことで、手相占いに寄せる気持ちの高揚が伝わって来る。何人も豊かになりたい、幸福でありたいと思い続けながらの生涯である。(竹野子)
貧しくも心の通う収穫祭 遊子
★「貧しくも心の通う」、気持のよい幸せなフレーズである。ある種標語のようなフレーズでもあるが、これに「収穫祭」という季語を据えられて、俄然重石の効いた爽快な一句に仕上がった。収穫祭は西日本の「亥の子」、東日本の「十日夜」などの行事に残っているが、大方は神社の秋祭として五穀豊穣を感謝し祝っている。収穫祭の「収穫」は、文字通り稲などの取り入れであるとともに、貧しさから得たもの、貧しさに耐えた結果のできばえ、という意味にもつながってゆく。「貧しくも心の通う」こそが、「美しい日本」の原点かもしれない。(昌子)
★「心の通う」を物に託して詠む、これがコツである。掲句では、収穫祭の実景を見ていない者には見えて来ない、「貧しくも」は説明である。「心の通う」を「子等集ふ」としてみましょう。「貧村の収穫祭に子等集ふ」大人も子供達も心の通いあったr?祭の様子が少し見えてきました。(竹野子)
枯れ葉散る貧しき墓に詣でたり 遊子
★俳句構成要因として、陰の言葉が重なり合うことは避けた方がよい。掲句の「枯れ葉、散る、貧しき墓」がこれに当る。鑑賞の領域が限られてしまうのである。即ち全部言ってしまわない。明るい言調を一言入れることによって、いっそう哀れを引き出すことがある。(竹野子)
蓑虫の貧しき家にくつろげり 祥子
★文明と技術改新の世にあって、蓑虫のすがる静かな佇まいに情趣を添える味わいがあり、「貧しき家」と言い切ったことで、さらに、心の豊かさをかんじさせてくれる、作者の顔がみえてくる。(竹野子)
素ツ寒貧とラムネの壜を振りし頃 石井薔子
★今も昔も貧乏など耐えるべきものではない。ラムネの壜を振り鳴らして明日がある。(もとつぐ)
★「素寒貧(すかんぴん)」とは、現在になってみれば懐かしいことばである。作者も「振りし頃」ということばで懐かしがっている。それでも、漢字にすれば風格が出るから面白い。ラムネ壜の中で鳴るガラス玉の音も懐かしい。(喜代子)
貧乏は嫌ひ昼寝とツナが好き 猫じゃらし
★作者は多分「猫じゃらし」というよりも猫そのものになりきって作品を作っているのではないでしょうか。こうした視点をもつのも一つの俳句作りの方法。「貧乏は嫌ひ昼寝とツナが好き」に余分な解釈はいらない。私も貧乏は嫌いである。(喜代子)
貧弱な乳房となりて秋ともし ミサゴン
★行楽シーズンである。澄んだ空気の中で、秋ともしは輝いている。ましてや秋のともしは親しいものとも詠まれている。貧弱なと詠いながら、秋ともしの持つ輝きと親しみが、白い肌えと乳房に慈しみの眼をむけ、注がれていることであろう。大方が貧という字に悪銭苦闘しているときに、貧弱な乳房と具体的な物をあげられたことが、この句の手柄であった。(恵子)
★何人かの子供に母乳を与えた乳房ほど、年齢をかさねるごとにたゆたむであろう。秋灯の下で、子育てに心血を注いだ頃の幸せに満ちた、尊くも豊かな乳房に思いを馳せながら、母なる喜びをかみしめている女の相に感謝の念を届けたい。(竹野子)
清貧の文士密葬星流る 町田十文字
★吉村昭が今年の7月31日に、家族に「死ぬよ」といいながら自らカテーテルポートを引き抜いた。無用な治療を拒む「尊厳死」だったことが夫人の津村節子から発表された。最後まで持ち続けた気力に圧倒される思いだった。「清貧」という言葉もまた気力によるポリシーなのである。星流る夜だったのだろうか。(喜代子)
ちちろ鳴く明かり貧しき母の通夜 潅木
★完成度の高い句。貧の連想は狭い範囲になりがちで、みなが苦労しているところ。せっかく明かりが貧しいという発見があったのだから、母の通夜まで表現してしまうのr?は、勿体無いと感じた。虫が鳴くのはわびしい、その上に明かりが貧しければそれは増幅される。更に下の五が事実であったとしても、強調にしすぎないだろうか。母の死が軽いわけはないのだけれど。(恵子)
日も山も貧乏も神豊の秋 佳音
★貧乏が太陽と山岳と同等に並び称されて神様となった。いわゆる貧乏神とは顔立ちが違っていかにも晴れやかである。豊年のよろこびを、一切に感謝する気持に詠いあげている。何と清々しい断定であろう。(昌子)
★記紀をひもとくまでもなく、森羅万象・天地万物を神を感じてきたのは日本民族悠久の叡智であるが、「貧乏の神」とはよく言ったものである。「貧乏神」のお出ましがあってこその一句である。「豊の秋」の季語の働きがみごとである。(竹野子)
貧乏神追い出すように鉦叩 ミサゴン
★〈誰がために生くる月日ぞ鉦叩〉という俳句があったことを思い出した。そんな慎ましい人々の暮しのなかに、貧乏神はしのびこんでくる。ある夜しみじみと鉦叩の音色に耳を澄ましていると、得体の知れぬ悲しみをもたらしていたモヤモヤの貧乏神はいつしか抜き足に去っていくようである。お金を恵んで欲しさに鉦を鳴らして念仏を唱える鉦叩という乞食坊主と、チンチンと鳴く昆虫の鉦叩がここに合体している。(昌子)
曼珠沙華貧相な川燃え残す 恵
★ある日突然風景が変わったように燃え出す土手の曼珠沙華が川の在りかを示していた。遠目には川の在りかをしらせ、川面に影を落とした曼珠沙華は、川を燃え立たせていることであろう。(恵子)
★ふるさとの山川に注ぐ小川の情景が目に浮ぶ。情熱の発露のごとく燃え盛る曼珠沙華の芽吹きから燃え尽きるまでを情念をもって見据えている作者。朽ち果てて華の哀れをよそに、静静と流れるせせらぎに思いを寄せる。燃え残されたものの哀れこそ、又よろしからずや・・・。(竹野子)
貧しさに耐えて鳴きたるキリギリス 遊子
★「アリとキリギリス」という童話では、キリギリスは冬への備えを忘れる怠け者ということになっているが、キリギリスにはキリギリスの生のまっとうに全力をかたむけている。チョンギース、あるいはギーッチョンと鳴く、その音色の実感を、〈貧しさに耐えて鳴きたる〉と言い切った。人の世に鳴くキリギリスの声である。(昌子)
★その昔、「ぎんのすず」という子供向きの本の中に「アリとキリギリス」という童話があった。アリは、秋深くまで懸命に働き越冬のための食料を備蓄するが、キリギリスは、秋の夜長をただ鳴き通すばかり。やがて雪が降り、困り果てたキリギリスは、アリの家の門を叩くが、門は閉ざされたままであった・・・。「貧しさに耐えて鳴く」とみるか、「刹那的に今を楽しんで鳴く」とみるか、試されているのは鑑賞者のほうである。(竹野子)
貧富などどうでもよろし朝の露 ミサゴン
★朝露が味わえるのは一瞬のことである。朝日に光る露、素足を濡らす露など。この至福が味わえる立場を想像するときに、中七の「どうでもよろし」の言葉が大人の風格をもって受け止められる。それにしても儚いものの一つにあげられる露という一語がなんと重い役割を果たしていることか。(恵子)
★あなたは、今日まで何日生きてきましたか?人生80年として29200日です。何万光年の宇宙に身を重ねるとき、「点」ほどもにもならない生涯にあって、貧富の差なr?どどうでもよろしいと言いつつも「よろしくない」と思う自分を見つめながら、足元に置く朝露に趣きを感じる心の月を養っていることがうれしい。(竹野子)
赤貧も障子も洗ふ上天気 恵
★障子を洗ふ行為は障子を貼る行為につながる。いまどきそれは最高に潤いのある暮らしの部類に入ることであろう。掲句の洗ふがごとき赤貧はもちろん揶揄である。障子という具体的なものに則し、上天気が精神的な豊かさと軽やかな動きを彷彿とさせた。のろのろと洗っていては、障子はゆがんでしまう。そして一気に乾かす広さも当然必要になる。諸事恵まれた環境が思はれた。(恵子)
宰相の言葉貧しくちちろ鳴き 町田十文字
★宰相もその候補も語彙が乏しい。最近では美しい国という言い回しについても、取沙汰されたことであった。国を代表する男の貧しい表現がたった五文字の季語に打たれた。一寸の虫の五分の魂に嘆かれたのだった。(恵子)
貧しい路地に月光を浴びている 乙牛
★「貧しい路地」は既成概念としての路地であろう。が、「月光を浴びている」、とこう続くとき、この感慨はだれのものでもない作者ならではの路地の月光を打ち出している。ここにいたって路地はその概念をとり払われ、ある種得がたい味わいを醸しだす空間として、まざまざと、その路面の光りまで浮き立たせるのである。路地が一句の臍になっている。(昌子)
螻蛄鳴いてをるやあしたの素寒貧 siba
★螻蛄鳴くや、螻蛄鳴いて、ではない。螻蛄鳴いてをるや、とやや勿体をつけたゆったりとした言い回しは、螻蛄に聞き入りつつ、ついには螻蛄に同化したごとき表情がうかがわれる。そこで「あしたの素寒貧」と突き放した措辞はいかにもそっけないようであるが、むしろほのぼのとした臨場感に満たされる。素寒貧という字面も、スカンピンという韻律もさっぱりとしている。「あした」という把握の凄みは、作者ならではの感性がもたらしたものであろう。 私の育った大阪も、「なんやあんたもスカンピンやな」とよく笑いあっていた、が今はどうでろう。(昌子)
貧しさに空見あげれば百日紅 acacia
★何度空を見上げてもそこにある百日紅。夏の真青な空にも、真っ白な入道雲にもかなって、いささかの風に揺れるともなく揺れている百日紅。百日紅は、幹の皮が滑らかなので猿もすべるという意味があっての「さるすべり」らしいが、夏百日を咲き続ける花期の長さから「百日紅」と漢名が当てられ、ひゃくじつこう、と読まれもする。この句は、さるすべり、と読むと自嘲気味でフフという微笑がわいて救われるし、ひゃくじつこう、と読めばそこには力強い安定感が生れ、これまた救われるのである。(昌子)
★お金のない事は、もちろん貧しいことだが、心の貧しさも、貧しさの実感ではないだろうか。ふと空を見上げた作者は、百日紅の強い紅色に、真夏でも咲きつづける力強さをみてとった。青空に火花のような紅色の花。その鮮やかさに励まされる思いである。(千晶)
貧相を福相となす大昼寝 横浜風
★人は、忘我の境にあるとき自然自浄の福相になるといわれている。泰然として大昼寝とは、羨ましいかぎりであるr?。五体をあずけきった安らぎの顔と豪快な鼾が心地よい。(竹野子)
★眠っている顔の無心さ、眠っているときの姿の無防備さには思わず微笑んでしまう。これほど幸せを感じる顔はないだろう。哲学的な思惟を感じる作者の発見がある。どんなに悩みや苦しみがあったとしても、誰もが夜になれば幸せな姿で寝ているのだ。しかし、昼寝でなければ掲出句の映像効果は出ないのである。(喜代子)
屠蘇飲むや貧乏神の大いびき 祥子
★屠蘇とは正月に飲むもの。おめでたい上にもおめでたい酒を飲んだら、怖いものはなくなるだろう。そう、貧乏神だって屠蘇の酔いには適わないのである。ユーモラスな貧乏神を憎めない大らかな作者がいる。(喜代子)
貧しくも月の光のあり余る 恵
★「あり余る」の措辞によって、貧者のひがみごころの句になってしまった。作者は、ささやかな佇まいであっても、貧者・富者の隔てなく降り注ぐ月の光を身にまとい、心ゆたかな情念を詠ったのであろう。「貧しくも月の光のある住まい」ぐらいにとどめたい。(竹野子)
黄昏の貧乏蔓魔女が住む 曇遊
★蔓は蔓性の植物の総称。だから実に多くの種類がある。しかも、きわめて現実的に生活を反映した名前がつけられている。貧乏蔓は別名藪枯らしとも呼ばれて、樹木などに巻きついて旺盛な生命力を見せる雑草である。それが嫌われ者の名前ともなる起因なのだろう。しかし、作者はこの嫌われ者の雑草を非日常へ誘い出し、魔女を誘い出している。日中も暗く繁茂する貧乏蔓がさらに暗くなる黄昏時を楽しんでいる作者がいる。(喜代子)
★数日前のこと、電話口で今度のににんの課題は難しそうですねと言われた。貧乏蔓という格好の季語もある、と鼻高々で告げた。まさか先駆けて、飛び切りの秀句が登場するとは思ってもいなかった。油断すれば生垣の上面に旺盛な葉を広げる。気が付けば女性一人が住む一軒家が、処によっては軒並みといえるほど増えた。それもわが身を含め老女ばかり、つまりは魔女風である。掲句は図らずも現代世相を実にうまく捕らえ詠い上げた。(恵子)
貧者の一灯ジンタ流るる秋 乙牛
★「長者の万灯より貧者の一灯」とは、まごころをこめた寄進を尊ぶことをいうとある。この句はジンタというサーカスに流れる曲とともに、なぜか、浅草の風景が浮かんでくる。浅草寺でお参りをして花やしきや六区を逍遥しているような、そんな光景を思わせる。秋の季語が効いている。(千晶)
爪紅や膝に貧血気味の猫 きつこ
★爪紅とはつまぐれ草とも呼ぶが、いちばん馴染んでいる呼名は鳳仙花である。だが鳳仙花といわれると健康的な日差しを感じる屋外の景。この句は爪紅でな ければ成り立たない。貧血気味の猫なんてどうやって見分けるのかなどという愚問 はいらない。作者と猫とは一身同体なのである。そういえば竹久夢二の絵の中で、女性に抱かれいるのは黒猫だった。(喜代子)
★しょぼくれた貧乏の句のなかで貧血気味の猫は抜群の発想。猫に貧血があるや、なし知らぬがありそう。爪紅も処をえている。(もとつぐ)
赤貧も幸せ昭和の晩夏光 乙牛
★「赤貧」と「晩夏光」、には巧まざる照応がある。「赤貧洗うが如し」をあらためて辞書にひくと「極めて貧しく、洗い流したように、所有物が何一つないさま」とある。赤貧たる昭和も少々遠くなりにけり、という思いをひそめて、盛んであったこの夏もまた一抹の憂愁に去り行く。(昌子)
貧血の老いた写真師秋高し 乙牛
★「貧血」しかも「老いた」、ここには救いようのないうら寂しさがある。だが一転、「秋高し」の晴れやかな大自然が現出する。写真を生業とする人には貧血も老いも一向にこだわらない、それも又よき人生の味わいとうけとめられる。人の世の思いに深みをもたらしてくれたのは澄み切った秋の高空である。(昌子)
★真鶴の貴船まつりを見てきた。国指定重要無形民族文化財で、例年7月27、28日に行われる。こで驚いたのがカメラマンの数であった。携帯電話を持った人ではない。男女を問わず2台は首から提げている。はっきり言って若人ではない。リックを背負い、首にタオルを巻き、なかには、足の不自由な方も見受けた。あの光景から掲句のような秀句を拾えるようになりたいものと、つくづく思うのだった。(恵子)
既視感や貧民窟にカンナ燃ゆ 戯れ子
★日本がサッカーW杯において勝てると信じ熱狂したのは、多くの国民の「一つのデジャービュですよ」と政治家与謝野馨氏が負けてのちコメントしたのは耳にとどまるものであった。そのデジャービュ(既視感)こそは、スラムに燃えるカンナの花ではなかったろうか。一句からあらためて鮮烈に燃える花の熱情がいとおしく思えるのである。(昌子)
予選句
貧乏も話題のひとつ年忘 | ハジメ |
貧乏ゆすりして勤労感謝の日 | ショコラ |
飽食の世の貧血や河豚の宿 | むぶこ |
赤貧を過ごせし跡の石蕗の花 | 仁吉 |
貧しさが教えし味のすむぎ汁 | 仁吉 |
赤貧を過ごせし跡の枯芙蓉 | 仁吉 |
懐かしき貧しき影やすむぎ汁 | 仁吉 |
貧なるを呼び興こせしむ枯れ芒 | 仁吉 |
もみじ葉に貧しき心洗わるる | 遊子 |
貧しさを励みにしたる一葉忌 | 遊子 |
貧乏と親しく暮らす師走かな | 遊子 |
貧相な男に恋し生姜酒 | 凛火 |
赤貧を過ごせし跡や枯芙蓉 | 仁吉 |
貧富の差知らず木枯らし吹き荒れる | 遊子 |
貧富の差知らず木枯らし吹き荒れる | 遊子 |
貧しきを囲んで語る南瓜汁遊子 | 遊子 |
物溢れ貧とも言えず師走風 | acacia |
老いらくや言葉貧しき日向ぼこ | 壽々女 |
貧乏を笑ひ飛ばして布団干す | たんぽぽ |
貧相を持ち堪へゐし冬の雲 泰 | 泰 |
欲望の貧しき心隙間風 | 遊子 |
枯れ葉散る足し算のない貧しさや | 遊子 |
秘めた恋香り貧しやシクラメン | 遊子 |
氷雨降る貧相な犬のとぼとぼと | 遊子 |
色づきて貧しく散りし枯れ葉かな | 遊子 |
むかご採る優しき老婆貧しかり 遊子 | 遊子 |
装いてやがて貧しき落ち葉かな 遊子 | 遊子 |
貧といへど柿たわわなり過疎の村 | shin |
貧の字に言の葉溢る鰯雲 | 遊子 |
貧しさや満天の星拝むかな | 遊子 |
赤貧に簒奪許す曼珠沙華 | 遊子 |
野仏の貧しき枯れ葉纏うかな | 遊子 |
でくのぼう貧乏のまま暮れる秋 | 遊子 |
貧民に野心の欠片彼岸花 | 遊子 |
貧乏も分相応の月見膳 | 遊子 |
富有柿心貧しき人と合う | 遊子 |
鰯雲貧しく生きし母ありて | 迷愚 |
消えぬ灯に貧女の一燈秋深し | 迷愚 |
花巻に貧しさ分かつ賢治の碑 | 遊子 |
清貧の俳人歩く十三夜 | ショコラ |
鴨の来て貧しき池の賑わいぬ | 遊子 |
秋風や貧相な猫の背ナ凛と | 星野華子 |
里山に木の実貧しくけもの道 | 星野華子 |
貧すれば鈍するはは常鳥渡る | 岩田勇 |
政治家に貧者の顔なく秋深む | じゃが芋 |
赤貧のあとはあらざりすいつちよん | ヒデ |
野分来て貧乏神の逃げ惑う | 遊子 |
貧しくて鳴くにはあらずキリギリス | 遊子 |
貧困に一揆の吠える収穫期 | 遊子 |
貧しいか貧しくはない稲木干し | 遊子 |
蛇穴に吾は貧相な髭を剃る | 森岡忠志 |
貧しくも林檎咬む歯の残りたる | 町田十文字 |
貧交の便り封する木守柿 | 町田十文字 |
貧交のハガキ一枚秋惜しむ | 町田十文字 |
貧しさや秋風背負い一人旅 | 遊子 |
レーの絵貧しき農夫穂を拾う遊子 | 遊子 |
貧しくて月観る木乃伊(ミイラ)涙かな | 遊子 |
ブルースは貧しい孤独女郎花 | 遊子 |
蒸かし芋貧しき頃を偲びたり | 遊子 |
貧村に山百合の咲き乱れたり | 遊子 |
風止んで貧相な蛇穴に入る | 遊子 |
老人の日と貧乏は重ならず | 遊子 |
貧しさは死語となるかな茸料理 | 遊子 |
貧しさをかもし出したる秋座敷 | 遊子 |
貧しさも中くらいなり冬支度 | 遊子 |
貧屋に驟雨調べるモツアルト | 遊子 |
何万の蝋y¨?燭貧乏ゆすりかな | 遊子 |
装うも案山子貧しく立てるかな | 遊子 |
貧村に咲きたる花や鰻珠沙華 | 遊子 |
活字組む貧しき群れの運動会 | mako |
鶏頭の貧者一灯こんばんわ曇遊 | 曇遊 |
貧しくも心豊かに秋茄子び | 遊子 |
柿一つ貧しき頃を思いけり | 遊子 |
貧すれど鈍はするまじをみなめし | なを |
鶏頭の貧者一灯こんばんわ | 曇遊 |
月の川渡り貧窮問答歌 | ショコラ |
夕飯に貧しき頃の芋と豆 | 遊子 |
貧しきは清楚な香り桔梗花 | 遊 |
秋の日に芯は貧しき影法師 | たかはし水生 |
貧の月うれしいとか哀しいとか | 秋津子 |
絆創膏貧しき家の子も花火 | lazyhip |
貧乏可一家団欒根深汁 | 海苔子 |
貧乏草散るや路肩の石の上 | acacia |
運動会貧乏籤の放送部 | ハジメ |
貧しさや蟲の食みたる枯れ葉かな | 遊子 |
貧しさをばねに変えたき秋の空 | acacia |
貧富の差肌の色艶秋なすび | 遊子 |
人肌を貪つてをる秋の野や | 秋津子 |
貧しさに貝を分け合ふ蜆汁 | 町田十文字 |
夏の夜ホームレス寝る貧富のハワイ | りゅう |
貧しくもとても明るい帰省の子 | 町田十文字 |
貧しても品の漂ふ秋袷 | 恵 |
秋なまず貧乏ゆすりで震度6恵 | 恵 |
貧しさや稲の作柄「やや不良」なかましん | なかましん |
清貧のこころ豊かや雲の峰 | 岩田勇 |
カンナ咲くマリアの子らの家貧し | shin |
親譲り器用貧乏青ふくべ 町田十文字 | 町田十文字 |
ワイキキを出てリトルタウン貧でなし | りゅう |
貧富とは心のありようアメリカの夜 | りゅう |
八月尽貧しき町に銀の雨 乙牛 | 乙牛 |
貧乏もすつかり慣れて秋簾 | ハジメ |
清貧はもう死語なるか根深汁 | 岩田勇 |
貧しさといふ空洞や文化の日 | 岩田勇 |
貧しくも松茸溢れゐし時代 | 横浜風 |
清貧の離農者歩ぶ稲の花 | ミサゴン |
貧相な朝顔福相な夜顔 | きつこ |
親蜘蛛の貧乏揺すり始めけり | 町田十文字 |
峰雲や家貧しくて功成れり | 岩田勇 |
極貧の水さえなくて蝉時雨 | acacia |
ひきほどく貧寒とせし牽牛子 | まこ |
貧しさを思はざりけり瓢持つ | shin |
大貧民エース差し出す夜長かな | きつこ |