清水哲男  がたん。  正津氏の頭が水鳥の人形よろしくテーブルにぶつかる。向こう側では熟睡の岡本氏が、なにやら寝言をつぶやいてる。ここは吉祥寺、『ににん』創刊を祝っての宴は、乾杯からはや六時間を経過している。多忙の清水哲男氏、正津勉氏においでいただけるよう、両氏の地元である吉祥寺に関係者一同お集まり願ったことが、このエンドレスモードの要因らしい。  つきない話題は、師系、季語、二物衝撃、芭蕉の軌跡を経て、つい先ほどまで、正津氏の血気盛んなりし頃の武勇伝に花が咲いていた。その新宿ゴールデン街はまた若き清水氏の貧乏時代の舞台でもあったという。馴染み、ツケ、出会い、喧嘩。デジタルに最も遠いデータベース……。タイムトラベルが可能であれば、私は迷わず昭和30年代の新宿を選ぶであろう。その混沌とした編集者と物書きの巣窟を、この眼で確かめ、酌み交わし、できることならうやむやのうちにひとつふたつ仕事を紹介してもらおう。  ビール瓶の林の向こうでまた正津氏の頭が大きく揺れる。かくして名うての暴れん坊詩人も、今や俳句をひねる水鳥と化し、吉祥寺の地下に半睡する。  あまりアルコールに強くない岩淵氏が一足先に帰る間際に残した「これからも好き勝手にやってください」という言葉に「ににん流」の楽しみ方がなんとなく見えた気がする。 正津勉居心地のよい棲家で羽づくろいをするように、新しいビールの栓を抜き、グラスにうたかたの泡を満たす。 とりとめのない話題は、いつのまにか俳句に戻っている。  こうして新しい俳句雑誌の誕生は、これより生涯俳句を愛していこうと誓った有名無名の酔っ払いに祝福され、以降の発行をめでたく約束されることとなった。  そしてまたいつか顔を揃える日のあることを願い、水鳥たちは静かに街に散っていった。
(記録/土肥あき子)


参加メンバー写真
左より清水哲男、土肥あき子、正津勉、磯辺まさる、岩淵喜代子(敬称略)

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